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2つの鍵を見つけた日 - 2002年04月05日(金)
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朝早く起きて、昨日落としてしまった車の鍵を探しに学校へ。 どこで落としたか分からないから、行き道も下を見ながら自転車をこぐ。 危ない。
見つからないまま学校に到着。 いろんなシナリオが頭をよぎっては消えてゆく。 もし誰かに拾われているなら、その人がどうか悪人じゃありませんように。
まずスポーツクラブハウスの受付へ。 昨日も落とし物が届いてないか聞いたんだけど、一応。 ・・・ない。
そして昨日も探しまくった部室をもう一回引っかき回す。 ・・・ない。
次に保健体育科のオフィスへ。 昨日気付いたときには閉まってたので、期待が持たれる。 ・・・ない。
あとは保安室か・・・と思いながら、 一応、昨日花見の時歩いたところを昨日歩いた風に歩きなおしてみる。 と、突然、2カ所で自分が障害物を飛び越えるために跳ねたことを思い出す。 1カ所目・・・ない。 2カ所目・・・・・・・・
あったー!!!!!
感動のフィナーレ。
意気揚々と家に帰る。 そして意気揚々ついでに、外出を決意。 東京国立近代美術館のカンディンスキー展。 http://www.momat.go.jp/kandinsky/index.html
都営新宿線直通で九段下。 駅を出て、北の丸公園(日本武道館があるところ)をぐるっと反対側に回る。 やや迷って、所要時間およそ15分。 東京国立近代美術館に到着。
一般1300円 大学生・高校生900円
高い。高い。高すぎる。 こういう値段だから日本の文化レヴェルが低下するんです。 美術館は1000円以上取っちゃダメだと思う。 (もちろん知ってますよ、美術館だって大変なことくらい) もちろん、金髪学生証※を提示して、「大学生」料金で入る。
※金髪学生証:僕の学生証は、2001年3月に撮影した写真が貼付されており、 当時はきれいな金髪でした。
入って、まず目に飛び込んできたのは、 港の光景を描いた、バリバリの具象画。
アレ?
カンディンスキーって「抽象絵画の父」じゃなかったっけ? ・・・しかし、時代が進むにつれて まず色彩に変化が訪れる。 田舎町の風景やパーティの光景を描いているんだけど、色彩が飛んでいる。 どう考えても普通ではあり得ない色がちりばめられたキャンバス。 でも、もしかしたらカンディンスキーには、 世界がこう見えていたのかもしれないな、と思う。 常々思っていたのだが、芸術家や哲学者というのは、 他人とは違った見方で世界を見ることのできる人たちなのだ。 そういう超越的な感覚が、本当にうらやましい。 ふと足下の床に目を落とすと、 それが単純な薄茶色一色ではないことに気付く。 青や、白や、黄色が交ざっているように見えるのだ。 ・・・もしかしたら、みんな「見て」いるのに、「感じて」いないだけなのかもしれない。
などなど考えているうちに画風はさらに変遷する。 具象物はもはや見られなくなった。 僕の知っているカンディンスキーの絵が現れてくる。 色があふれんばかりのキャンバス。いや、実際あふれているのかもしれない。 そしてこれもやはり、カンディンスキーが見ていた内面「世界」なのだと思う。
今回の展覧会の売りである「コンポジションVI」「コンポジションVII」の前に立つ。 壁一面の圧倒的な大きさ、押し寄せる圧倒的な色のプレッシャー。 「色圧」という言葉を発想する。 (色圧に影響するのは、使用されている色数と、使用されている色のインパクトか)
カンディンスキーの絵を見ていると、 見るたびに必ずどこかに見落としていた色と形を見つける。 そしてその度に、自分の中でのその絵に対するヴィジョンが書き換えられていく。 見るたびに新しくなる絵。 特に2つのコンポジションのように大きな作品は、到底見渡しきれない。 いくら見ても、完璧に見通したつもりでも、 しばらく目を閉じてからまた見ると、見たことのない色と形が現れる。 それを繰り返していたら、だんだん眩暈がしてくる。 思わず壁により掛かると、店番のお姉さんが飛んでくる。 「申し訳ございませんが寄りかからずにご覧ください」 あいすみません。
それにしても、何故人は絵の中に具象物を見つけようとするのか。 そうしないと不安なのか。 何故人は抽象画を見るときにすがるような目で作品のタイトルを求め、 そこに「無題」あるいは「コンポジションVII」などと書いてあると明らかな落胆の表情を浮かべ、 首尾良く「聖ゲオルギウス」と書いてあるのを見つけても、 それと画面上の模様を何度か見比べて、やはり落胆の表情を浮かべるのか。 何かそれと分かるものが描かれていなければ「普通の絵画」ではないからか。 あるいは絵画の中に何かそれと分かるものを見つけることこそが正しい芸術鑑賞だと信じているからか。 そういう固定観念(おそらくは義務教育中のクダラナイ美術教育でたたき込まれた)から 自由になれない限り、もっと開かれた鑑賞態度を取れない限り、 抽象絵画はいつまでたっても知識人のオモチャのままだ。 あるいは「コムズカシイもの」というレッテルをべったりと貼られ、省みられないままだ。
ところで、今回自分は淡いピンク色が好きだということを再確認。 <参考:sjo k.の好きな色変遷> エメラルドグリーン(小学校)→緑(中学校)→オレンジ(高校)→ピンク(現在)
たっぷり楽しんだ。 いいかげん疲れて、絵から何も感じられなくなってきたので、帰ることにする。 美術館を出て時計を見ると、もう16:00。
北の丸公園を横切って、九段下の駅へ。 久しぶりに武道館の横を通る。 生け垣の3色のツツジの横に、小さな白い花がたくさん咲いている。 奥には遅咲きの桜。飛び交う虫。 カンディンスキーなら、この光景をどんな風に見て、どんなふうに描くだろうか。
17:20帰宅。
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