2003年10月17日(金)
夏は他力本願、秋は自立の季節


昨日、くだらないことを書きすぎて、またやらかしました・・・・( ̄∇ ̄;)






エラー
原稿用紙20枚以内でお願いします





















1日の日記を、原稿用紙20枚以上に及ぶ量で書くなんて、全く以ってどうかしている(核爆)。
タグもカウントされるから、とりあえず色々なところを削った。
一旦エラーが出ると、「戻る」を押しても白紙画面になってしまうのだが、
タグはともかく、本文は全てプレビューで表示中だったのが不幸中の幸いであった。
それをコピーしなおして、メモ帳に貼り付け、タグを足して微調整。
それでも3回くらい跳ね除けられたことは、もう、ここに吐露する以外、どうすりゃいいのさ!?
って感じ( ̄∇ ̄;)


そう。
あたくし、短文は苦手。「悪文のチャンピオン、長文」ならいくらでも書ける特異体質。
コレが功を奏して、中学時代の夏休み、自由研究では迷わず国語科を選択し、
特に何の捻りもなく、1〜2日くらいで原稿用紙50〜60枚の短編小説を書いただけで、
3年連続、表彰された(爆)。
枚数の上限はなく、下限は20枚以上ということであったが、あたくしにしてみれば

「はぁ? 20枚なんて少なすぎて、完結させられません( ̄^ ̄)」

みたいな感覚で、同じく国語科で小説を選択していた子が
四苦八苦してようやく20枚程度の作品を完成させた中、
あたくし1人、一般の倍以上の量を何食わぬ顔で提出したため、
初年度に至っては、最優秀扱い。
翌年からも2年連続、表彰対象にはなったが、先生もだんだんわかってきたのか
ちゃんと手間隙をかけて、新聞のコラムのまとめをした子などが最優秀をとるようになり
あたくしは次点で治まっていた。


と、中学時代は夏休みの自由研究の課題で苦しんだ覚えはなく、
どちらかと言うと、国語科に「小説創作」という枠があったので、巧いこと逃げ込むことが出来た。
だって、コレの他に数学からは信じられないような量の課題が出されていたし、
特に英・国・数に至っては、みっちりとそれ専用のテキストを発注してくれちゃってるもんだから、
せめて自由研究でラクしないでどうする?? と自分に問いかけたというわけ。

コラム書評のように毎日、続けなければならないようなものはゴメンだし、
理数系の研究は、とにかく面倒臭い。
英語は、翻訳・・・・なんていうのがあったし、
3年の時は家庭科で浴衣を縫ってきた子がいた。
製作日数が偲ばれる・・・・。





義務教育の間のあの「夏休みの宿題」というのに、あたくしは甚く疑問を抱いていた。
都道府県ごとに発行される「夏の友(もしくは夏休みの友)」なんて、
友でも何でもなく、寧ろ、宿敵だった気がする(爆)。
毎年、毎年、夏休みの宿題を・・・・という時期になると、それこそちびまる子やカツオ並に
憂鬱になっていたのであった。
学校の行事自体は楽しくて、夏場によくその準備として登校するのは別段苦ではないクセして
毎日、継続して、他人と同じことをやらねばならないというコトに対しては
物凄く苦痛を感じた。
他人と別のことなら良かったのだ・・・・幼少より、とても現金にできていたあたくし( ̄∇ ̄;)


学校では優等生ぶっていたけれど、まとめてどっちゃりと出される宿題を
ある有効期限以内に仕上げて提出・・・・というのが納得いかなくて、
出された瞬間に全て片付けてしまいたくなるのだけど、そうはいかないように
テキストなどは組んである。
毎日、少しずつ計画的に進めましょう♪ なんて、かったるいことを抜かしている。
まとめて一教科、一日で終わらせることの何が悪い!?
とはいえ、ペース配分を友達に尋ねられ、結局、夏休みも終盤にさしかかると、
序盤にやっておけばよかったことすら、手が付けていなかったりで、笑って誤魔化す・・・・
というのが通例ではあった。




これが、義務教育も終わり、高校へ進学した後となると、また話は別になってくる。
究極の課題が家庭科から出される。
3年生の家庭科なんて、受験に支障を来すから普通は夏休みに課題なんか出さないものだけど、
うちの高校は違った。


体育が種目別選択制になり、夏場、何をやるかというのも自由に決められるシステムになっていた中
クラスのほとんどの子が、創作ダンス(マスゲーム)を選択するのである。
この他にも、水泳とか別の球技であるとか、選択肢は沢山あるのだけれど、
歴史の長い、体育祭においての花形競技に出演したくない女の子は
よっぽど体格に自信がないか、ダンスという時点で引いてしまうか、
もしくは、クラスメイトとうまくいっていないかのどれかである。
1、2年生の時に見たあの光景・・・・3年生の先輩たちが可愛らしいミニドレスを身に纏い、
自分たちで作ったダンスを華麗に舞うというのは、男子目線でなくても憧れる。


受験も差し迫っているというのに、うちらはまず、振付担当と衣装担当を決め、
衣装担当の子達は、スタイル画を描き、それを家庭科の先生に見てもらいながら
パターン(型紙)を作成する。
身長別に6種類の型紙が出来上がり、まとめて発注しておいた布も同時に配布される。


そう・・・・。


コレを夏休みの間に作ってこないと、体育祭の華、マスゲームに参加できないのである。


お裁縫は苦手なあたくし。
しかも、え??? ドレスって( ̄□ ̄;)!! もう絶対無理!!


しかもこの時期、もう応援団の幹部も決まって、野球のチアとしての練習にも余念がなかったあたくしは、
眩暈を感じていた( ̄∇ ̄;)
尚且つ、演劇部の後輩の合宿にも顔を出す約束がしてあったりも・・・・( ̄∇ ̄;)
渡された衣装の材料を手にし、途方に暮れていたあたくしに、
まるで、神のようなクラスメイトが声をかけてくれた。ナオちゃんである。


「夕雅ちゃんさぁ、応援もあるし部活もあるし大変やろ?
実はね、あたしのおばさんが仕事で洋裁の縫製をやっててね、
型紙と作図を見せたら、すぐにやってくれるって言ってくれたの。
でね、1着も2着も同じことだからって言ってくれてるからさぁ、良かったらどう?」



どうもなにも、プロが縫ってくれるんならいうコトなし!!!
あたくしはもう、地面に額をこすり付けんばかりの勢いで、ナオちゃんの好意に甘えさせて頂いた。


もう1人、神はいた。
以前、アヤちゃんコンプレックスの段で登場したミキちゃんである。
我々の振付けは、主にバトンを利用したもので、バトンそのものにも装飾を施さなければならないのだが、
それは、ドレスが出来上がった後の話で、その余り布を再利用するという方針だった。
まだ丸裸に近い状態のあたくしのバトン・・・・。ミキちゃんは親切心から、
こう切り出してくれた。


「夕雅ちゃん、そろそろ応援の方も架橋でしょ?
最近、こっちの練習もあんまり来られないみたいだし・・・・
もし良かったら、あたしがバトン作っておくけれど、どうする??」



どうするも何も!!
実はミキちゃんは、クラスで一番バトンの仕上げが上手で、
本当は彼女に委託したいのだけど、別にそれほど忙しいというわけでもないから頼めないし、
自分でやったら、何か変になってしまった( ̄∇ ̄;) という子が頻発している中、
あたくしは、正に手具もドレスもプロ仕様の出来で、自分では何一つやらなかったのに、
一番美味しいところだけを頂くことができた♪ という、強運の持ち主だったりするのである。

元々、踊るのは好きで、振付するのも別段苦ではなく、一応、ダンスのチームにいたのだけど、
応援団の方が差し迫ってくるとどうしても、そちらを優先させなくてはならなくなり、
振付に口出しをしなくなった。
どうして皆がこんなに親切かというと、あたくしとは逆に、あれもこれもと手を出し、
出席率がそんなによろしくないにも拘らず、口出しだけは一人前にしていた子がいたからだ(苦笑)。
彼女も一応、うちの団の一員ではあったのだが、両立することが遂にできなくなり、
練習の途中でぶっ倒れて、大騒ぎ・・・・という、何だかトラブルメイカーみたいな子だったので、
きっとダンスの現場でも色々とやっちゃってたのだろう。
後から聞いた話によると、遂に、彼女はマスゲームの練習現場からも存在を追われようとしていたらしい。


一所懸命にやっている子達にしたら、掛け持ちで、来られる時にだけ顔を出し、
言いたいことを言って、決まっていたことも混ぜっ返して帰っていくような人間は迷惑だろうな・・・・
あたくしもそう思う。
ドレスと手具さえ揃えば、後は体育の時間で振付くらいは補填できたし、
わからないところは素直に聞けば教えてくれる、親切な子達ばかりに恵まれていたので、
あたくしは夏を乗り切った。
・・・・夏は他力本願に限るな(-。-) ぼそっ
あるまじき思いを良く馳せたものだ。
ちなみに、この家庭科の課題は特に検閲が入るわけでもなく、創作ダンスを選択した子達が
揃いのドレスをきちんと着て、踊っている・・・・それだけで既に許された。
ゆえ、この縫い目はプロがやった・・・・とかいう面倒な指摘は受けずに済んだので、
余計に助かった(爆)。

↑大きなお世話だっつうの!






今でも、押入れには高校時代の制服と一緒に、当時のドレスが残っている。
きちんと縫製してあるので、捨てるに捨てられないのだ。
ちなみに中学の頃に書いた短編小説も押入れの中に残っている。
こちらは他人様に見せられたものではないが、自作品として捨てるに捨てられないのだ。



今、あの頃とは違い、夏を乗り切るのに他力本願は愚か、自力にも乏しい中、
秋を迎え、正にノリノリであってもおかしくないあたくしなのだが、
やっぱり、体温が下がってくれなくて、非常に困っている。
18までは、夏といえば本当にキラキラと輝いて、飛び跳ねていたものだが、
いつの頃からか、夏が鬼門になり、秋を待つ自分がいた。
もう、空気も随分と冷えてきた。気分はいい。が、自分の足で立てない日がある。
あまり深く追求すると、またパニックになってしまい、飲まなくてもいい薬を飲まなくてはならない。
それだけは避けたい。


ミュージカルの現場にいると、昔の自分を思い出せる感じがする。
確かに厳しいには変わりないんだけど、その中で、立ち向かっていた自分の感覚が沸々と甦る。
そういう時は、自分の両足を信頼できる。
寄る年波には勝てぬ・・・・などとよく言うが、あたくしもこの10年で随分と変わった。

↑実に健康的♪

体型も頗る健康的(爆)。今は絶対に見せないような笑顔があるのも、精神的に健康だった証拠だろう。

あさみ


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