撃沈から立ち直り、午後のひととき。昨日は薬を足さずに、妙な時間を過ごし(午前0時〜4時)その後、自然と眠れたので薬の影響もなく、半減期とはとっくにおさらばできたアサミンジャーです。モノカキだ( ̄^ ̄)と名乗っているので、誤解を招くのかもしれませんが、実はあたくし、人並み以下にしか読書をしない、グータラ野郎です。人が書いたものを読むくらいなら、自分で書いた方が良いわい!!と、とっても横柄で傲慢、横着な人間です。そのわりに、何だかわけのわからない「トリビア」みたいなことが脳みそに詰まっているのは、多分、小学生の時の読書量がハンパじゃなかったからだと思います。でも、全く読まないかというとそうではなく、1冊の本にとかく集中してしまい、何度も何度も読み返す・・・・というのが昨今のスタイル。で、ここのところ、既に3度目の読み返しに突入した本がありまして。つい最近買った、臨床心理の本(みたいなヤツ)で「なぜ『いい人』は心を病むのか」という、すごいストレートなタイトル(笑)。そんな本をどうして購入したかというと、昨今・・・・というか多分ここ1〜2年、オーアエにずっと(毎回)「あなたは、いい子ちゃんだからなぁ・・・・。」 と言われ続けているのに飽きたからである(爆)。著者は精神科医の医学博士で、町沢静夫という人なんだけど、この田舎町で、セカンドオピニオンを探すのはえらい苦労するし、「いい子だ」「いい人だ」と言われるのには、きっとあたくし本人が気付いていない理由があって、書店で冒頭を立ち読みした際に、それこそ「生きるヒント」ではないけれど、何かしら、自分にも当てはまることが書いてあるような気がして、インスピレーションで手に取ったようなものだ。手ごたえは・・・・まぁ、幾許かはあった。嗚呼、同じような環境で生きている人もいるんだなぁ、とかこんな酷い症状から立ち直って復帰を果たしているのか、とか自分の育った環境を省みるきっかけにもなり、受けた教育を思い出すきっかけにもなり、とりあえず、「自分を見つめる」という作業のお手伝いくらいはしてくれそうな感じで。1回読んでみて、こう自然と2度目に突入する本というのはなかなか少ない。この町沢という人の文体は、全然偉ぶってなくて、本当に医学博士なんだろうか?と思うくらい、こっちにわかりやすく問いかけてくれるのが良かったんだろう。専門用語は極力使わず、自分が診てきた患者の様子やら、社会の背景に基づいた「いい人」「いい子」の存在を、わかりやすく説明していてくれる。もう学生ではないので言えることなんだけど、この本を読んだからといって、絶対にいい読書感想文は書けそうにない(爆)。あたくし、夏休みの宿題・・・・特に文系の中で納得いかなかった課題の中に「読書感想文」が挙げられる。大嫌いだったのだ。あの宿題だけは。大体、本を読むことを強制するところからして納得いかない。そして、その感想を2000字以内でまとめて執筆し、提出するというやり方も気に食わない。それをコンクールとして表彰したり、どんな本がその年に一番読まれていたか、とか人気の著書を挙げていくのも、ハッキリ言って論外だと思った。で、高校時代くらいから、本を熟読する・・・・となると、戯曲に限定されていった(爆)。もしくは自作品の続きを書くのに、あまりに前が長すぎて、自分でも設定やあらすじを忘れてしまっている時に膨大な量の原稿を読み返す・・・・というのが日常化し、やがて、他人が書いた本をほとんど読まなくなっていった。雑誌ですら、億劫になった。学校が推奨する図書と、自分が本当に読みたい本というのは違う。例えば・・・・。あたくしが高校時代にとても影響を受けてしまった著書に山田詠美女史の「放課後の音符(キーノート)」というオムニバス小説の作品がある。あと、谷村志穂女史の「十四歳のエンゲージ」という小説がある。これらで、メチャクチャ克明な感想文を書くとなると、多分、謹慎処分を喰らいそうな勢いなのである。2000字で納める自信もあり、これらから受けた感銘を伝える術もあり、さあ、いざ、原稿用紙へ!! ・・・・となっても、とっても困ってしまうのである。言うなら・・・・失速する前の村上龍が書いた「限りなく透明に近いブルー」であるとか「69」であるとか、あぁいうのを真剣に読んで、真剣に感想文を書こうとするのだけどそこで学んだものを、果たして、学校に持ち込んでいいものかどうか、困惑がつきまとうのである。これが、多分、町沢氏の言うところの「いい子」なんだろうけれど、実際書ける?14歳なのにお腹の中に子供がいて、その子はヤクザの子なんだけど、母親として絶対に子供の命は守りたくて・・・・でもヤクザに脅されて怖くなって、いつもの逃げ場のシンナーに手を出してしまったから、赤ちゃんが悲鳴をあげた・・・・「彼女はシンナーに逃げるべきではなかったのかもしれないが、それ以外に、一体、どんな逃げ場があったのだというのか?計り知れない孤独と常に闘っていて、母体はへとへとに疲れてしまっているというのに。彼女のとった行動は、社会的に間違いで、人間としても間違いだが、自己を守るという最低限の『生き方』として決して間違っていなかったと思う。」学校から追放されそうです(爆)。多分、コンクールも通りません(爆笑)。国語の先生に、「お前、一体夏休みの間に何を覚えた??」とか言われそう・・・・┐( ̄∇ ̄)┌オホホあぁ、でも、わかってくれる人はいました。まぁ、題材が所謂、戦争文学だったので、お咎めがなかったものの、かなり偏った意見をズバッと出した感想文をあたくしは一度だけ書いたことがあります。それは弟の宿題でした。あたくしが大学2年の時で、弟は商業高校の3年生。「1枚500円で書いてやるぞ〜( ̄ー ̄)ニヤリッ」と言ったら、本当に小遣いから2500円出しやがったので、本気で書いてやりました。つかこうへい著の「広島に原爆を落とす日」・・・・これで書いてやりました。とかく、日本の戦争文学というのは、原爆の被害やその他空襲、その後復興までの長い道のりその間の苦労、朽ちていった命、戦争はしてはいけない、絶対に同じ間違いを繰り返してはダメだ!こういうのを前面に主張するのが多いのだが、この作品は違う。「でしたら、もう一つ、違うタイプの爆弾を落とさせてください。」アメリカ側で、日本に原子爆弾を落とすことが決定されてから、原子爆弾の研究を「仕事」としていた研究者がこのようなことを言い出すのである。ご存知の通り、ウラニウム爆弾とプルトニウム爆弾が、それぞれヒロシマ・ナガサキに投下されたわけだが、投下する側の投下するまでの苦悩がこの小説には書いてある。何故、アドルフ・ヒトラーがユダヤ人に対し、あのような迫害行為に出たか、一つでよかったはずの原爆投下がどうして二つになったのか、日本海軍が有していた人間魚雷・回天にも実はウランが仕込んであった、リトルボーイに乗り込んで投下ボタンを押せる人間はいないのか?いくらなんでも、人体実験にしては2ヶ所の投下はやりすぎだ、でも、ここで1度、原子爆弾を投下しておかないと、人間は近く破滅する、等々、様々な苦悩、そして落とす側の困惑、そして、落とされる側の困惑が他の戦争文学にはない、とにかく新鮮な切り口で描かれていた。あたくしは日本人だが、アメリカ軍側の立場に立ち、「もし、自分にその命が下ったとしたら、一体どんな理由付けで投下ボタンを押せばよいのか。」と提起した後、主人公が如何に腹を決め、投下ボタンを押すに至るまでの経緯を踏まえ、そして、そのボタンを押してしまったら最後、何百万人の命を一瞬で奪ったことに対する「罪」が自分に降りかかることをわかって、それでも尚、自分の信じる倫に賭けて押したのだ・・・・みたいなことを、2000字ピッタリで書き上げた。↑本気でやったんだから仕方がない(爆)どうしてここまで深めて読めたかというと、実はこの年の夏に、この原作から戯曲を立ち上げ、制作サイドでは、あたくしがそのワープロ打ち込みをやっていたからで、そうでもなかったら、文庫で上下巻にも渡る長いこの物語を、どう調理していいのかわからなかったというのが本音のところ(笑)。ピンポイントで焦点を定められたのは、戯曲として立ち上げる時の作業が既に読書感想文を書くみたいなもんだったから、実際に抜粋して立ち上げた生原稿と原作を見比べて、主宰に「どうしてこのシーンを使うのか、で、どうしてこのシーンはカットなのか?」というのを詳細に渡って聞いてあったので、成し得たワザとも言える。伊東家のウラ技に送ろうかしら(* ̄m ̄) ププッそんな輝かしき作品を書いたことのあるアサミンジャーだが、物事には決まって、「オチ」みたいなものがつくというのを、身をもって知らされた。弟のヤロウ・・・・こともあろうに↑我が家で最もバカな停学記録(苦笑)我が家で最も・・・・と言うからには、他に停学・謹慎処分を受けている者が、家族の中に少なからずとも1人以上いるというコトになる( ̄∇ ̄;)山賊・・・・言わずもがな常習犯(笑)。サヨコ・・・・この人がワルサなんかするはずもなく(笑)。じゃあ、あたくし。停学とか、自宅謹慎とかではなかったが、夏休み中に補導されて、世にも珍しい「学校謹慎」というのにかかったことがあります(爆)。夏休みなので、自宅謹慎は全く以って意味がなく、だから学校に来い!!という結構面白い企画(企画ちゃうって)。塾に行くとか言って、しばらく黙ってたんだけど、本当に卒業するまで親にバレなかった(爆)。我が家でそういった処分を受けていないのは、サヨコだけ・・・・という、正に、血で血を洗うようなこの結末。妙なところが山賊に似てしまっている、あたくしら姉弟なのであった( ̄∇ ̄;)ちなみに、あたくしや弟の文才はどうやら、山賊譲りのようで、読書感想文はともかく、反省文などは書かせたら、超一級の出来なのであった(爆)。