2003年06月21日(土)
勘違いコトバにもご用心


昨日。あのような日記を書いて、カタカナ言葉にある意味での警鐘を鳴らしたわけであるが、
あの弱小地方紙・・・・何と一面トップに、こんな記事を載せていたのである。



あなたは間違っていないか?
この言葉の使い方や、本当の意味を







日本語に警鐘を鳴らすのはとても結構なことだが、あたくしはこのレイアウトがとても気に入らなかった。
誤用されている方の意味をわざわざ太字で取り上げていて、
本来持っている意味を、記事の普通ポイントの大きさでしか書いていなかったからである。
これでは、日本人の勘違いは増えるばかりだ。
どうせ良い着眼点を持っているのだとアピールしたいのであれば、
正解の方を太字にしたほうが絶対に良いに決まっている。


取り上げられたのは、かなり昔、あたくしが「これ、間違って使ってない??」と日記でも書いた
「確信犯」・・・・そしてもう1つは、「役不足」である。


今一度説明すると、「確信犯」というのは、よく、「悪いとわかっていて、あえて計画的犯行をする」
みたいに使われているけれど、実は全く逆の意味で、
「良かれと思い、信念を貫き通した行為が犯罪と見做される」
というのが本意である。間違って覚えていた人は、早速正しましょう。



さて。問題は「役不足」の方であるが・・・・。
言葉にするとややこしいので、図解にしてみました(笑)<ヒマ人め(爆)








もう、気がついた人も多いでしょうが、「役不足」という言葉を「力不足」という言葉と
混同している人が多い傾向にあるようで、謙遜して使用する場合が、恐ろしく傲慢な表現になったりする。

自分が要求されたレベルに達していなくて・・・・または謙遜してまだそこまで達成していないというのを
「役不足」と勘違いしている人が多いようだが、それは違う。
「役不足」というのは、本当は、
「自分は本当はもっとできるのに、不当な(あまりに足りない)要求しかされない」
という場合に使うのだ。だから、自動的に謙遜する時には使うことは出来ない。
陰でこそこそと、誰かの悪口を言うのや、上司などに対する文句には利用できそうだが・・・・。


「あの人には、あんな大きな仕事、役不足よ。」

「こんな仕事をさせられるなんて、役不足もいいところだ。」



使用例はこんな感じである。
ちなみに、皆さんが普段誤用されているかと思う意味を正しく表現するなら、多分こうなる。


「こんな大きな仕事、大変ありがたいのですが、私には力不足ではありませんか?」

「こちらの力不足で、ご迷惑をかけたことをお詫び申し上げます。」



こんな感じでしょう。
社会で恥をかかないためにも、早速、今から直しましょう♪
気付いた時に直すというのが、一番手っ取り早いんです。
言葉というのは、日々、使用するものですし、
文書のやりとりなどで記録が残ってしまう場合など、言葉遣いの間違いなど、
一生の恥になりかねません。
気付いたらすぐっ!!
これは基本です。


斯く言うこのあたくしも、実は、この「役不足」「力不足」を22歳まで見事に誤用していました。
それを指摘してくれたのは、大学の先生で、あたくしの書いた卒業論文にたまたま
「役不足」という言葉が使われたんだけど、それは間違いだと教えてくれた。
あたくしは、この論文が研究室で公表される前にさっさと書き直して、
一難を逃れることが出来たのだけど、あの先生が正しい日本語を知らなかったら、
あたくしは今でも、あの言葉を勘違いしたままだったかもしれない。


だって、昨日の新聞でも、誤用例の方がでかでかと書かれていて、
パッと見では、それが正しいのだと思い込んでしまいがちだからだ。
周囲に正しい日本語を教えてくれる人がいて、本当に良かった。あたくしは今でも感謝している。




「確信犯」などは、もう作家たちも間違って使っている有様で、
そこらのドラマとかの脚本に、間違った使い方を平気で書いているプロもいるくらいだ。
あたくし1人が、声高に叫んだところで修正される誤用率ではなく、
寧ろ、こちらが間違っていると見做されかねないので、もう黙っていることにした。


日本語というのは、常に流動し、変化していくものなので、「確信犯」もあと数年したら、
誤用されている意味の方が辞書に載るのかもしれない。
悲しい哉、それが日本語の現状なのだ。
平安時代に使われていた女房ことばも、今に響きを残すものがあるけれど、
意味は全く違っていたりする。
それと同じで、今、日本語は過渡期を迎えているのかもしれない。

「ら」抜き言葉に警鐘を鳴らす作家がいたり、いや、それは日本語の流動性の結果だから
見守るしかないという日本語研究家もいたりと、殊、言葉を巡っては、侃々諤々・・・・。

それぞれ正しい意見には違いないのだけど、多数が勝つというこの国では、
本意を見失っても、頑固に誤用し続ければ、道理も引っ込んでしまう。

今は美しいと思って使っている言葉が、数年後、数十年後、数百年後にはわけのわからない言葉として
辞書にも載らなくなる。日本語とはそういう言語だ。




しかし・・・・・・・・・。
新聞というメディアが、わざと勘違いを引き起こすようなあんなレイアウトをするようでは
終わりだな、とあたくしは思った。
誰かが言葉を誤用する、という些細なことでいちいち指摘をしていてはキリがないが、
殊、テレビや雑誌、新聞など、メディアとして多数の人々の目に触れるものに対しては
細心の注意を払うべきなのだ。
編集責任者や脚本家、プロデューサーや演出家が、誤用を認め、使用しているようでは
とてもプロとはいえない。
そういう意味で、あたくしはあの弱小地方紙を糾弾する。
確かに間違ったことは書いていないけれど、誤用を招く書き方を選択し、発行したあの新聞社は、
読者をなめている。
そう取られても仕方がないだろう・・・・?


そして、今日の朝刊。あたくしはコラムを読んで呆れた。

↑一意見として、あまりに弱すぎる。

そのコラムニストも、先日の記事などに纏わる言葉の誤用について書いていたのだが、
一面に載るコラムとしてはあまりにもお粗末。論点も何もあったもんじゃない。
あたくしは、もう呆れてモノが言えなくなってしまい、
せめて自分だけは、正しい日本語を追い続けようと、心に誓ったのである。

あさみ


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あなたの毎日にずぅむいん・・・・

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