縄の話。
2022年08月14日(日)

今日は、ブログの更新をしました。

2013年の後半から、縄が出てくるんですが、この頃から主が変わってきた印象がありました。

ずっと絶対服従で、息をつく間も無くハードな調教がされていた日々から、ちょっと柔らかさを纏うような。

縄が入ってきたのも、「だいぶ調教も進んだから、縄でも使ってみるか。」という感じかな?

ともあれ、ブログに載せました最初の縄姿、これまで縛られた感覚とは全く違うものでした。

もう、ぴたーっと自分の体に添う感じ。
隙間なく、きっちりときつめに。
縛られるというより、縄のコルセットの中に入っているような。

「そうそう、主の調教って、こんな感じだよなあ。」と納得したものです。

私は、縛りって縛る人そのものが出ると思ってて。

だから、縛られる側も個性があるだろうと思う。

それは、体格とか技術とか、そんなのじゃなくて、人柄。

もしくは、その性癖、関係性。

なんか私、偉そうに語ってて胡散臭いですが、縛られている時に何かを感じるから、しゃーないかなと。

過去、他の人に縛られている時は、「ここに縄が足りないな。」とか、「今日はちょっと(頭の中が)ゴチャゴチャしてるんだな。」とか、何かを感じ取ってまして。

縛りって、縛る人の思考とか、その日の調子とかに影響を受けるんだと感じてました。

もちろん、縛られる私も、縄が多い方が良い日もあれば、そうでもない日もあったり。

そして、主が縄を使うようになって、他の人に感じてた、「何かが足りない」ことが無くなったものでした。

最初の頃は、ギッチギチに縛られてて、いわゆる緊縛のセオリーなどなく、主のしたいように縛っていたから、私には良かったのだと思います。

それから、色々な縛りを試しながら、吊りまでして頂けるようになるのですが、ずっと私は「足りない」ことがなく、いつも縄と縛りで満たされていました。

私の主観ですが、主にとっては、奴隷の私も「道具」、縄も「道具」、その「道具たち」を使って、自分のやりたいことを試しているに過ぎないと思います。

そういう、シンプルなただの道具である奴隷っていうのが、イイんですよね。



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