Noir/ Rouge noir
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| 2006年01月06日(金) |
不定期連載「オーギュスティーヌの蒼い空」第2回 |
<前回の粗筋>舞台は架空の中世フランス。巴里随一の娼館「シテール」の娼婦オーギュスティーヌ・ド・ヴェルレエヌは、架空の英国から巴里観光に訪れたシヅマ・セト伯爵に心を奪われる。 __________________________________
私は、恍惚としていた。 御洋服は勿論着たままだけれど、シヅマ様が私を縛ってくれている。固い樹の感触が、やわらかい布地を通して背中に伝わってくる。その感触すら、今の私にはいとおしい。 「ああ、ここ…ロンドンなのね…」 ここはシヅマ様の御城だと、私は思っている。 丁寧に縄をかけて下さるシヅマ様を見つめると、シヅマ様は私を見返して、おどけた顔をなさる。 それが嬉しくて、またじっと見つめてしまう。 ああ、やっぱり、なんて素敵な方なの。 たとえ全宇宙の総ての歴史を見渡すことができたとしても、シヅマ様よりも素敵な方は存在し得ない。 今パリで話題になっている、小説家だとかいう侯爵なんか比べ物にならないわ。小説だって、シヅマ様の作品の方がずっと高尚で知的だし。 縄化粧を終えたシヅマ様は、唐突に私に背中を向けられた。 「…?」 そのままシヅマ様は何もおっしゃらずに御屋敷に入ってしまわれた。 「シ、…シヅマ様…」 私は呆然とした。シヅマ様に突然忘れられてしまったのかもしれない、と急に思えて、不安になる。 …これは何かの罰? シヅマ様に下劣な感情を抱いて、シヅマ様を冒涜した罪?
先程はシヅマ様に気を取られていて全く気づかなかったけれど、すぐ目の前に大きな硝子窓があった。シヅマ様の寝室のようね。とても素敵な寝台がある。私はなすすべもなく、御部屋の内部を見つめた。 天蓋付きのベッドは、高貴なシヅマ様に相応しい。リネンは総て黒いシルクで統一されており、天蓋は鏡のように磨き上げられたシルヴァーのアイアンレエスで支えられている。寝台の傍にはちいさなサイドテーブル。壁紙は淡いグレーのようだ。
私にはとても長い時間に感じられたが、実際にはほんの数分後のことだっただろう。 シヅマ様が寝室に入っていらっしゃるのが見えた。 シヅマ様の姿が見られただけで、声を上げて喜びそうだった。 しかし、その喜びは引き裂かれた。 王子様は、素敵な貴婦人を伴っておられたのだ。 ふたりはわざわざ、窓の前までやってきた。そして、シヅマ様は一瞬だけ私を見てから、その貴婦人と抱擁なさった。 「…うっ」 それを見た瞬間、ぞわりと嫉妬が忍び寄った。 だけれど、怒りは無い。寧ろ不思議なことに、安堵すら伴った嫉妬だった。 「んん…」 その刹那に真珠が尖るのがはっきりと解った。私は無意識に太腿をきつく閉じ合わせた。腰をよじる。 王子様が、貴婦人と唇を重ねたのを見たとき、私の感情は沸点に達した。それに合わせて、涙が溢れたのを感じた。花唇も涙を零しているのが解った。 その感情は確実に悦楽を伴っていた。 快楽が強過ぎて、それを受け止め切れずに泣いている、ということがはっきりと解った。 「王子様、もっと、…その素敵な人に、もっと濃厚に唇を重ねて下さい…」 私は痛切に、そう祈っていた。その願望は叶えられた。シヅマ様の舌と、貴婦人の舌が絡み合うのが見えた。永遠かと思われる程長い間続いた接吻が終わった。 シヅマ様は、その女性を寝台へ伴い、ドレスを脱がせ始めた。 雪が降って来た。 「シヅマ様、…シヅマ様…」 聖なる名前を呪文のように繰り返しながら、自分が寒さに弱い、ということをぼんやりと思い出していた。 風邪引いちゃうわ…
目蓋がゆっくりと開いた。 素敵な夢だった…。私は実際に、頬に涙を流していた。そして、太腿のあわいにもまた…。いけない、と思った。銀色に輝く高貴な星の王子様に、こんな下劣な感情を抱いてはいけない。だけど…
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ジョージが眼鏡をつくることになり、私は彼と共に手近な眼鏡屋へ赴いた。 美しいマドモアゼルが私たちを迎えてくれ、 ジョージは彼女と共に視力を調べる為の小部屋に収まった。 私も眼鏡を使っているので、暫くは「新しいフレームでもつくろうかしら?」と 思い店内を見回していたが、すぐに飽きて勝手にその辺りの椅子に腰を下ろしていた。 すると素敵な紳士がわたくしに御茶を出してくれた。 高級な日本の御茶ね。素晴らしい御店だわ。 本を持ってくれば良かった。そう後悔し、携帯電話で友人のサイトをブラウズして彼のスカトロ小説を読んでみたりした。 スカトロ小説のせいか、トイレに行きたくなった。 私はちょっと躊躇ったけれど、立ち上がって、ジョージが視力検査を受けている小部屋に入って行った。 「トイレに行ってくるわ。それから御買い物しているから、終わったら電話を頂戴」 ジョージの肩に手を置いてそう言い、それからジョージを担当するマドモアゼルに「彼をよろしくね」という意味で頭を下げた。 しかし、彼女は私に反応を示さなかった。
歩き出してから、私は怒りを感じた。 「ジョージ…嬉しそうだった…」 ジョージは日頃、余り女性と接することがない。 今、ジョージの視力検査をしてくれている女性はとても綺麗だったわ。 私のようなのとは違う…。 猛烈な嫉妬が頭をもたげた。 嫉妬というよりも、激しい怒りだった。自分のおもちゃを他人の好きにさせたくはない、という怒りだ。 このとき、私はその嫉妬が王子様のときに発する嫉妬とは異質であると気づかなかった。 携帯電話の電源を切って、勝手に家に帰ってやろうかと思った。 私はこの後、更に醜態を晒してしまった。
化粧室で用を足し、いきつけの化粧品店へと思った。 携帯電話の電源を切ることを思い出して電話を取り出すと、留守番メッセージが入っていることを知らせるランプが点滅していた。 メッセージを再生させると、ジョージが「検査が終わった、フレームを一緒に選んでほしい」と言っていた。
無視すれば良かったのに、私はジョージが可哀想になり、眼鏡屋へ戻った。けれど、怒りは止んでいない。 ジョージとあの店員さんが並んでフレームを選んでいる。ジョージの愛想笑いを見て更に腹が立ってくる。 「おっ、帰って来たな」 「…」 「どれがいいと思う?」 「好きなの選べば良いじゃないの!」 私はこの時の自分をとても恥ずかしく、愚かしく思う。 帰り際、店員は私に「お時間かかってしまって、申し訳ありませんでした」と頭を下げた。 「ああ、この人は悪くないのに…。この人はジョージに丁寧に接客してくれただけなのに…」と後悔した。
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私がジョージを見る目は冷静な方だと思う。 確かにジョージを愛している。それは断言できる。感謝しているし、尊重しているつもり。だけれど、ジョージの総てを自分の思うようにコントロールしたいと思っている。良い人だと思うし、私の理想にかなり近い男性と言える。 シヅマ様は…全く別。私は、シヅマ様に対して冷静ではいられない。シヅマ様の御機嫌に大きく一喜一憂する。娼婦として心を込めて御客様に接しなければならないというのに、私は仕事のときでさえ、シヅマ様のことばかりに心を奪われている。 こんなことではシヅマ様は喜ばない、と思っても無駄。私の胸のなかにいつもあるのは、シヅマ様がギターを弾いている御姿。シヅマ様が微笑んでいる御顔。シヅマ様が私を呼ぶ御声。総てがシヅマ様になってしまった。 もう娼婦を続けることはできないと悟った。私は、仕事を辞める決心を固めた。幸い、蓄えはある。そして、やりたいこともあった。
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「へえ、あんたがこんな店をやりたかったとはね」 開店日にかけつけてくれた「シテール」のママンは店内を見渡した。 私がやりたかったこととは、馨水の店だったのだ。 「馨水とか、好きだってことは知っていたけど…。」 私はシテールを辞め、思い切って馨水の店を始めることにしたのだった。 シテールでの常連だった老紳士が馨水を製造・輸入する事業をしているので、そこから卸してもらっている。 赤紫に近いショッキングピンクに黒のアイアンレエスをあしらったガーリィな店構えで、女性客が興味を持って入ってきてくれている。 ジョージは、私と知り合った頃既に私が娼婦だったので、娼婦を辞めさせたいと思いつつ言い出せなかったそうで、私の仕事を大歓迎している。 シヅマ様もまるで御自分のことのように、大喜びしてくれた。 だけれど、まだゴールではないわ。まだ、これは「船出」に過ぎない。 そんなことを考えていると、唐突に店員に名前を呼ばれた。 「御客様ですよ!」 振り向くと、なんとそこにシヅマ様がいらした。 「オーギュちん! 来ちゃいましたワ!」 「えっ、何故突然ロンドンから? 御知らせして下されば御迎えに伺ったのに」 「いやー。こっちに住むことになりましたワ」 「…ええっ!? シヅマ様、これからずっと巴里にいらっしゃるの!?」 そんな嬉しいことが起こってしまっていいの!? また夢ではないの? 「そうですねえ。今日は取り敢えず引っ越しの御挨拶だけと思ったので連れてきませんでしたが、兄と妹と弟も一緒に巴里に来ましたワ」 「まあ! シヅカちゃんも御一緒なのね」 私はフライヤーの写真の可憐な姫君を思い出していた。 「すです。まあ近いうちに遊びに来て下さいよ」 私は歓声をあげた。ずいぶんと楽しい船出になったわ!
<第3回へ続く>
荒井慶騎と世都セレナ
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