Noir/ Rouge noir
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2005年11月14日(月) 短編小説「オーギュスティーヌの蒼い空」クラヤマツミ

 黒い薄布の寝衣は、裾が太腿のつけね辺りまでという短さだった。
 胸下からフレアーになっており、バストが美しく見えるカッティングも、気が利いている。足下は先程穿いたレエスつきのガーターストッキングと、ファーつきのサンダルだ。それらは揃えたように黒一色。黒という色は私にとって重要な色なのだ。

「ジョージ、…おはよう」
私は食卓について、ジョージがつくったブランチを食べ始める。
「いつも、おいしいわ」
ジョージは煙草を置いて、微笑んだ。料理が得意な情夫のジョージは、売れない楽士である。

 食事を終えると、私はいつも通りの支度を始める。
 寝衣を脱ぎ、香りを纏う。スキンケアとベースメイクを済ませ、バストが出るタイプの黒いコルセットを身につけてから、ドレスを選んだ。
 普段は黒い服にピンクか白を差し色にしているが、何故か今日は未だ着たことのない紫のレエスつきの黒いドレスに決めた。シルヴァーのチョーカーと、黒革の首輪をつける。
 もう一度化粧台へ戻り、化粧を仕上げる。
 ゆっくりと化粧を終えると、もう出勤時間だった。

 仕上げに縦ロオルのパールパープルのウィッグを被り、チュールつきの黒いちいさな帽子を載せた。
 玄関でジョージとベエゼを交わし、私は気に入りのシルヴァーのバッグを手に下げてでかけた。ちいさなバッグのなかには、化粧直しの道具と読みかけの本、それから香水を入れてある。

 私の職場はパリで今最も輝ける娼館「シテール」である。
ここには、パリでいちばん美しい娼婦たちが集められている。
 私はそのなかで、いてもいなくてもいい、Bランクの娼婦だ。御茶を引いてしまう日も少なく無い。特徴もないし、すこしばかりふくよかすぎるから。けれど、まあ自分の好きな化粧品やドレス、本などを我慢することなく買えて、ジョージと気楽な生活できる程度の収入はある。

「ママン、おはようございます」
「シテール」を切り盛りしている「ママン」は初老の域に達しているが、それでも娼婦の頃の客がママンを慕ってシテールを訪れる。ママンは心優しく、私のような、セールスポイントのない平凡な娼婦にも気を配ってくれる。
「おはよう、オーギュスティーヌ。今日もがんばるんだよ」
そろそろシテールは開店の時間を迎える。今日は客をとれるかしら。昨日は御茶を引いてしまった。今日は良い客をとらないと。
「あったあった。ここやな、シテールいうんは」
受付から、耳なれないコックニー訛りのイングリッシュが聞こえた。

「ここやな、シテール。僕、ロンドンから来たんでスー」
「いらっしゃいませ、英国紳士の御客様。御旅行ですか」
受付嬢はいつも優しく御客様に接する。彼女は英語を使えるので、英語で答えた。
「そうなんですよー。それでここの噂聞きまして。ええ子おるかな、なんて思いまして」
何故か、私はその紳士の声に惹かれた。
「女の子選べるん?」
「では、こちらへどうぞ」
私たちが座っている部屋に、その紳士が現れた。

 その瞬間、私は恋に落ちた。後頭部を鈍器で強打されたような錯覚を抱き、私は目眩がした。今すぐディオールの店に走り、ガリアーノにドレスをつくらせて着替えないといけない、と思った。

 すこし長めに整えただけの、ストレートの黒髪だけでも珍しい。
 御洋服は黒地に銀色、紫色だけを使っている。
ーーイギリス紳士って、みんなこんな風なのかしら? 
 優しそうな、品のよい面差しなのに、物腰はせわしないのが面白い。
 すると、更に驚くことに、英国紳士は私の目の前に立ち、私を見つめて言ったのだ。
「おおっ! おるやん、ええ子おるやん!! この子ええやん!!」
私は読んでいた本を取り落とした。
驚いてしまい、本を拾うタイミングを逸して、戸惑った。
英国紳士はその本を取り上げ、微笑んで渡してくれた。
ーーなんという優しい方なの!? そして、何故、この私を? 
けれどすぐに、ああ、と納得する。この紳士と、身なりの色が合っている。それだけか…。私は下品にも舌打ちをしそうになった。
「名前は?」
紳士が口を開いた。
「オーギュスティーヌ。…オーギュスティーヌ・ド・ヴェルレエヌでございます」
そう、私は名字に「ド」がつく貴婦人である。
今は娼婦だけれど、これでも没落貴族の家柄よ。
「僕はシヅマ・セトや。じゃ、行こか」

セト伯爵が、外に出るというので、部屋へバッグを取りに戻った。
「バッグもええな」
やはり、色なのね。
それにしても外…私、野外露出はNGなんだけど…。

 そうだ…思い出した。あの楽士の客…。ジョージと同じ、長い髪と髭が特徴だった。だから私はその客に好意を抱いたのだけれど、
 それにしてもあれはものすごい客だったわね。あんな人が世の中にいるなんて。
 夜中に現れたその楽士は、指名が無かったので、たまたま手の空いていた私が相手をしたのだけれど…あれは果たして「相手」と言えたのかしら?
楽士は私を深夜の外に連れ出し、
「脱いでもらっていいかね?」
と容姿に似合わぬ老人口調で、うめくように言った。後で知ったが、彼は三十路の私よりも年下だった。
 娼婦だから、客の指示には従う。私は胸の出るデザインのサテンの黒いコルセットと黒別珍の短靴だけという姿になった。てのひらで胸を隠していると、
「それも脱いでもらって、こっちだけにしてもらっていいかね?」
渡されたのは、質素な紙袋。中身を出してみると、それはまだパッケージに入ったままの新品の白い靴下だった。拍子抜けするくらい、シンプルな靴下だ。
「…? はい」
私は素直に、コルセットを取り、ストッキングとヒールを脱いだ。
暖かい夜で良かった、と思ったのを今も覚えている。
「最後に、これ穿いてくれんかね」
彼は大きなバッグから、膝よりも長い白のレザーブーツを渡された。こんなの、穿いたこと無い…。
すると彼も脱ぎ始め、やがて靴下にブーツ、そして素裸にコートという格好になった。
「…」
私は「これからもこんな客がつくのだろうか」と思い、言葉を失うばかりだった。
「じゃ、これ持ってくれんかね」
「…は、はい…」
デジタルビデオカメラを渡された。私は「相手」ではなく、単なる撮影係だったのだ。
撮影を始めろと言った楽士は唐突に、自らの性器をこすりながら、空いた方の手で自分の乳首を弄んだ。
私は重い気分で撮影を始めたが、途中で面白くなってきて、彼が絶頂に近くなってくるのが解ると、彼の表情や性器をズームして撮ってみたり、色々と工夫をした。
最後は彼も感謝してくれ、着替えを手伝ってくれた。
彼はその後姑く私を指名したが、コイトゥスは全くせず、
私はずっと彼の撮影係だった。
彼は突然来なくなった。暫くして彼は新聞に載っていた。
山中で全裸で発見されたという。白いブーツとコートを身につけていたということで、自慰の最中だったのだろう。心臓麻痺を起こしていたそうだ。
私はそのことを思い出し、背筋が冷たくなるのを感じた。

 その楽士のことをぼんやりと考えながら、英国紳士に付き従った。
「あの…野外、ですか?」
そっと伯爵に耳打ちすると、彼はしばらくの間ぽかんとしてたが、ようやく言葉の意味を思い出したらしく、すこし頬を染めて恥ずかしそうに
「そのことはいいんです。オーギュスティーヌさんと街なかをな、見てあるきたいんですよ。観光です」
と言った。そういう客は初めてだ。まあ、服の色の釣り合いがとれているので差程奇異な二人連れではないだろう…。
「御腹、減っとります?」
「…いえ」
「そうなんですかー。僕、おなかぺこぺこなんですよ。最初に腹ごしらえしてもええかな?」
手近なカフェに入り、彼は英国紅茶とサンドイッチセットを頼んだ。
私は一瞬ケーキも頼もうとしたが、ボディラインのことを考えて御茶だけにした。
「もっと食べてええですよ。おごりますわ」
「えっ? ええ。御馳走様です。あの…ちょっと、ダイエットを」
「そやな、オーギュスティーヌさんもちっと肉とれたら結構綺麗やな」
ちょっとばかり気が滅入ったが、こんな御世辞には、慣れている。

 その後は彼の希望で、SMショーを開催しているクラブに入った。このクラブは古い御城を改築したもので、とてもロマンティックな外見だった。このクラブには是非来てみたかったので、とても楽しみだった。今日はたまたまドレスコードが「ヴィクトリアン」だったので、私たちはすんなり入場することができた。入り口でスタッフから目の周りを隠すための羽つきマスクを貰った。
「場内ではこれをつけてください」
私はショッキングピンクの羽のついた黒いマスクを渡さた。それは私にとって好ましい色合いで、すっかり嬉しくなった。マスクは持ち帰ってよいとのことだった。
 伯爵は案の定「紫色にしてくれませんやろか」と押し問答をしていた。マスクはランダムに渡されるもののようだったが、スタッフは言われると箱のなかから紫の羽をつけた黒いマスクを探し出して彼に手渡していた。
 けたたましいほどのトランスミュージックが鳴り響く場内はとても暗く、客たちが色とりどりの羽つきマスクを纏って身分を隠しているのが見えた。
 初めての店なので、知り合いはいないだろう。ジョージはこのような場所を「如何わしい」と言って好まないので、今迄訪れるチャンスが無かった。
 中央に丸い舞台がしつられてあり、ここでSMショウをするのだ、と思った。
 壁面にはプロジェクターでビザアルなテイストのフィルムを放映している。ショーが始まる迄、客たちはフィルムを見たり、音楽に合わせて踊ったり、耳を寄せ合い小声で何事か囁き合ったりしていた。皆ドレスコードに合わせたファッションをこらしており、とても御洒落だと思った。なかには胸を出してサテンのヴィクトリアンコルセットとガーターストッキングに編み上げの膝上ブーツのみという勇敢な貴婦人もいたし、女装姿の人もいた。
「いやー、イギリスにもクラブはあるんやけど、フランスはまた違いますな!」
伯爵が耳打ちする。
「いつか、イギリスにも行ってみたいわ」
「フランスもええけど、イギリスもなかなかええとこやで。そのときは案内しますよって」
「ええ、是非御願いしますわ」
そう言いながら、旅行は滅多にしないということを考えていた。でも、この方がいるのなら、一度は行ってみたい…。

 ショウは、ボンデージファッションの女王様が素敵だった。とても私の趣味に叶っていたのだった。
スレンダーな黒髪の女王様が、M女を調教して、最後は御褒美を与えるという、ストーリーは無いに等しいものだった。けれど、M女はラバーのフレンチメイド姿でとても愛らしかった。私は男性をいじめるほうが好きだけれど、やはり見せ物としては美しく可憐な女性が縛られる方がビジュアルが良い。
 そんなことを考えつつ伯爵を見やると、彼も先ほどのショウにすっかり御満悦という表情だった。
 すると、不思議な感覚を抱いた。
 伯爵が女王様に興味を抱いているということに嫉妬しているのに、それが快楽を呼ぶのだった。
 私はかなり嫉妬深い方で、情夫のジョージが他の女性と喋ったりしただけで発狂しそうな程に怒り、とても赦せないイヤな気分になってしまうだけなのに、この伯爵には違った。確実に嫉妬しているんだけれど、怒りというものを確実に滑落している嫉妬だった。寧ろ、胸のなかに甘く切ない感情が醸し出されて、酔ってしまうような感覚を覚えるのだった。
これは何なの。私は戸惑った。
「…伯爵様」
「はい、なんですか」
コックニーのイントネーションすら、今の私には甘い。
「あの…ご家族はいらっしゃるの。今度は御家族とフランスにいらしてよ。…たとえば、奥様とか」
私は「奥様」という存在を確認して、更に嫉妬して気持ちよくなろうと画策したのだった。けれど、彼の答えはそうではなかった。
「…奥様というのは、いないですねー」
「独身でいらっしゃるの」
「そうです。一人で暮らしてますワ。妹と、弟と、それから兄がいますけどね、別々に暮らしてます。そうだ」
伯爵は持っていた荷物を探って、何かを取り出そうとしていた。
「兄妹弟で、楽団をやってまして。フライヤーと音源持って来てるんですワ。これ、差し上げときまスー」
受け取ったのは、カラー印刷された紙と、音楽を録音してあるというディスクだった。
まずフライヤーを見ると、そこにはなんとも愛らしい姫君が写っている。
「こちらは妹さん?」
「そうです、妹です。シズカ言います」
可愛い。私は千鳥も好きなんだけれど、この愛らしい姫君の可憐で健気な佇まいに魅せられてしまった。
「妹さん、とても可愛いわ。御会いしてみたい」
「妹、きっと喜びます。伝えておきます」

 その日は結局、娼婦本来の仕事はせずに終わった。すこし残念でもあったけれど、ほっとしたというのが本音だった。この伯爵様に、私なんかが直接の御奉仕はできない。私はずっと、伯爵の隣にいながら、現実味を感じられなかった。伯爵は私にとって、幼い頃読んだ童話に出て来た王子様のような御人で、そんな人とみだらなことはできない。
 夜が明けて伯爵と別れる時間になったときには、「夢は終わった」と哀しくなった。
 しかし、夢と違って、伯爵様は私にメールアドレスとホームページのURLを教えてくれたのだった。これでいつでも、伯爵様と連絡がとれるし、きっと再会できる。

 私は帰り道、久しぶりに空を見上げた。
 私の王子様を見つけたわ、素敵な星を見つけたの。
 私は空に向かって、心のなかでそう呟いていた。
 





荒井慶騎と世都セレナ