Noir/ Rouge noir
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2005年10月30日(日) 連載小説「芳香の女王、彷徨の王子」最終回

「花山さん、荒井慶騎とどういう関係なんですか」
店に到着するやいなや、バイトの女の子がそう言った。
「つきあってるんですか? それにしては、花山さんの名前知らなかったし」
「…何度か、いらしたの。ここに」
「それは私も知ってますよ。見たことあるもの」
「それだけ」
「あのあと、つきあいだしたとか?」
「あのあと」とはつまり、この子が私の居場所と名前を荒井慶騎に教えたあのときのことだろう。
「つきあってないわ。単なる、御客様よ」
「でも、花山さん、荒井慶騎の好みっぽいし」
「私は彼の好みには、痩せ過ぎよ」
「細いのはウエストでしょう。花山さん、胸はすごく大きいし、御尻もちょうどいいし」
そのせいで、服がかなり制限されていやなんだけれど…と関係ないことを考える。仕方ないので自作しているけれど、結構面倒。お店を見て回っても、好きなものが買えることは少ない。ミホマツダのスーツなんて、着てみたいのだけれど…。ナオトとかも着てみたいのよね。ああ、そうだ。スカートなら入るわね。それから、なんといったっけ、あのコルセットの御店…一度御邪魔してみたい…バスト下のタイプならば、充分入るわよね…
「花山さん、荒井慶騎のこと好きなんですか?」
止めどなく広がる思考を打ち破られた。はっとする。
「ん…今のところは…興味がある程度ね」
「ほんとに〜?」
「本当よ」
「じゃ、私狙っちゃおうかな」
「どうぞ」
だけどその前に、ほほにたくさんあるそのニキビをなんとかしないと、慶騎は鼻にもひっかけてくれないわよ。

真実に愛が存在しないのに、調教して良いか。
私はそのことで悩んだ。愛しているか、或いは、今後愛せるかどうかの試金石として調教するということは私の信念に反するのではないか。
「愛する男の身体と精神と人生を縛る」
それが私の信念だ。
何度も、夢のなかに現れる「彼」に尋ねてみた。
どこまでも白い風景。霧のなかにやわらかく風が吹き、私は黒いアイアンレエスのベンチに腰を預けている。「彼」はあの頃のように、私の前の地面に正座している。
「荒井慶騎という男を縛ってみたいの。拘束して、ねじふせてみたい。征服してみたい。だけど、愛していないのに…」
「彼」は微笑むばかりで答えない。
しかし、ある晩「彼」は言った。
「貴女は、興味の無い男を縛るような、無駄をする女王ではありません。荒井慶騎とやら、なかなか良いのでは?」
「彼」はそれ以来、夢に現れなくなった。
その代わり、荒井慶騎の面影が夢に現れるようになった。
私は新しいロープを購入した。鞭は、昔からのものを使うことにした。そして、一度行ってみたいと思っていた素敵なホテルの部屋をとった。



こんなにも美しい言葉で構成された文章を読んだのは、初めてだ。それが「美神」を読んだ最初の印象だった。それから遡って、彼のエッセイなどを読んだ。エッセイであっても、彼は美しい単語を極力選び、遣っていた。
彼は中井英夫という作家の「小説は天帝に捧げる果物。一行たりとも腐っていてはならない」という言葉を大切にしていたそうだ。もしかしたら、だからこそ小説を書けなくなったのかもしれない、と私は思った。
そのとき、ふいにあの感触を思い出した。
慶騎君が、私の太腿にキスした、あの感触。
全身に、ぴしりと一鞭受けたような緊張感が走った。
思い出す度に、胸が締め付けられた。
けれど、私は二度と彼の前に姿を現すことはできないだろう。理由はよく解らないけれど、そう思う。
私は間違っていた。真相なんか話すんじゃなかった。そうすれば、慶騎君はいつまでも私をリリカ様だと思ってくれた。いいえ、もっと上手く説明すれば…きっと私を「藤井百合子」として愛してくれるはずだった。
後悔というものが、苦いだけでなく、甘い味も持っていることを彼は教えてくれた。私は何度もその味を反芻した。



「脱いで…先ずは縛るから」
跪いて私に頭を垂れていた荒井慶騎は、丁寧に返事をしてから立ち上がり、服を脱いで行った。黒衣に包まれていた身体が露になってゆく。その細く、白い身体に、私は魅了されていることに驚いた。「彼」と全く違う、若く引き締まった肉体。そして、初めて直に見る「刺青」と言う芸術。何かの文字だ、と解った。ゴシック調のフォントで描かれた文字。もしかしたら、以前に慶騎を調教した貴婦人の御名前かもしれない。…そうだ、「リリカ様」とかいう歌手のことをエッセイに書いていたわね…。
そう気づいたら、身体が硬直した。でも、刺青は男の場合なら跡を残さずに綺麗に消せると聞いた。今後、消させたくなったら消させれば良い。この背中の肖像は、リリカ様の御尊顔ね、きっと。…私ににた顔のつくりだ。慶騎はこういう顔が好みなのだ、と思った。これはなかなかに良い出来の刺青だから、消させるのは惜しい。私と似た顔なのだし、これは私だということにさせよう。
手が震えたけれど、丁寧に、新品の綿ロープをかけていく。ひとつひとつの動作に、魂を込める。これが私の愛の作業だ。わざわざ、愛してもいない男にこんなことをしてやる気にはならない。
縛り方は忘れたと思っていたが、手が覚えている。荒井慶騎の身体に、黒いロープが美しいアラベスクを描いて行く。愛を込める程に、縄は肌に食い込む。
慶騎は、黙って私の縄に身を任せている。肌に縄がきつく食い込んでも、すこし顔を歪ませる程度で、よく我慢している。自分で言うほど、エゴマゾではないのかもしれない。
全身に縄をかけてから、床に転がすと、恥ずかしそうに顔を背けている。羞恥心があるのはなかなか良い。脚のほうにも縄をかけてやってから、ブーツを穿いている足で慶騎の顔をこちらに向けさせる。
「ありがとうございます…」
慶騎は恥ずかしそうにだが、「縛って戴いたこと」に対する礼をきちんと言った。
しかし、股間はもう屹立していた。「彼」よりもそれは大きく、垂直に…。
「いや! 気持ち悪い。もうそんなところ大きくしたのね」
「も…申し訳ありません…」
「処女にそんなものを見せて」
「えっ?」
「私、処女なのよ。SMしかしたことない。しかも、ひとりとだけ」
「そう…ですか…」
慶騎の塔がまた固さを増したようだった。それを見たとき、おぞましさを感じながらも、花唇の奥の宝石が固く尖るのを感じた。花蜜がすこしずつ、花唇を濡らすのがはっきり解った。
「だから、そんなエッチな男の子はいやなの」
私は早速、鞭でお仕置きをすることにした。
「ああっ!」
「私に仕えたいの? 私から御褒美が欲しい?」
慶騎の苦痛の叫びが聞こえる度に、私の宝石が大きくうずいた。花蜜がどんどんあふれる。
「欲しい…です」
慶騎が震えている。感じているのだ。私たちは今、感じ合えている。何かを共有している。
戒めを解いてやり、身体を冷たい床に横たえることを赦す。椅子に浅くかけてから、
「鞭に耐えられたから、御褒美あげるわ。お前は何が良いの」
と聞く。
「希望を言ってもいいのですか」
「いいわよ」
「あの…足の、御指を…舐めさせて戴けますか」
正直、肉体奉仕をさせてほしいと言われたらどうしようかと思っていたので、これには安堵した。
「良いわ。脱がせて、舐めていいわよ」
私はブーツのまま、脚を投げ出した。慶騎はブーツのファスナーを一気におろした。もっと丁寧にさせないといけない。一鞭くれてやると、慶騎は呻いた。
「私のものなんだから、もっとていねいに扱うのよ」
「大変失礼致しました。気をつけます」
今度はていねいに、そっと私の脚をブーツから抜き取った。ガーターストッキングを穿いた儘だったので、どうするか見ていたら、慶騎はストッキングのまま足指に鼻孔を宛てがい、目蓋をとじてその香りを楽しんだ。それから、ストッキングの上から親指の裏側を舐めた。ゆっくりと、舌を様々な部分に這わせる。私が与えた傷を背負った男が、一心に私の足を捧げ持って舐め回すのを見ていると、また宝石が蠢いて、花蜜が溢れ出して行くのを感じた。自分で宝石を弄んだときと同じ…いや、それ以上の快楽。知らず、腰が動いてしまう。吐息も漏れる。
「慶騎…私は良い女王かしら?」
「最高の方でございます、瑠璃様。どうか、御傍に置いては戴けませんでしょうか」
私は一瞬、「あの人」の面影を想った。
歳若い分、「彼」よりは未熟だろう。けれど、育ててみたい。この者に賭けてみたい。
私と同じ世界を愛する、この男に賭けてみたい。そして、共に成長したいと思った。
まだ何も解らないが、この自分の足を求めている男がとても愛しく思えた。
「…御前次第よ。取り敢えずは、…合格」
快楽で声が震えるのを隠すのに懸命だった。
「ありがとうございます!」
私がしっかりと感じているのを解っていないのか、それよりも「合格」が嬉しいのか、慶騎は笑顔を浮かべた。この美形ならば、連れて歩いても絵になるだろう。

真実の愛をみつけられるかはまた別の話かもしれないが、…私は思った…いや、その相手は慶騎かもしれない、とも…

<「芳香の女王、彷徨の王子」終>
クラヤマツミの次回作に御期待下さい。


荒井慶騎と世都セレナ