Noir/ Rouge noir
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2005年10月29日(土) 連載小説「芳香の女王、彷徨の王子」第6回



帰宅してキッチンにいたばあやに声をかけると、ばあやはいつも通りの暖かい笑顔で迎えてくれた。
「もうすぐ、夕飯です」
「ありがとう」
私は自室に入ると、ゴルティエのバッグを床に置き、ソファに腰を下ろした。
今日は、久しぶりにたくさん喋ったから疲れた…
こんなに人に話をしたのは何年ぶりだろう。
多分、「彼」以来だ。
彼が死んでから、私の時は止まっている。
未だに彼を思い出すと涙がこぼれるのは、彼の死そのものよりも、彼がいなくて、誰も私を愛してくれないからだ。ばあやは別だ。家族だから…。
両親が私を愛していることと同じ。
私は両親の愛情と、ばあやの愛情を一身に受けている。その家族愛とは別に、女として、女王として愛されることを欲している。
女王とオス奴隷という愛の形。
それだけが、私の信じられる真実の愛だった。女王と奴隷が真実に愛し合い求め合う限り、神でさえ二人を裂くことはできない。私にとってSMというのは、そういうロマンチックな関係なのだ。真実の愛という幻想を男性と共有することができる唯一の恋愛形態だと考えている。
けれど…私は、女王として他の男を支配することができるんだろうか? もう、私の奴隷になってくれる男なんてもういないのでは? 
それは彼が死んで暫くして、S女としての欲望を満たせないと気づいてからの悩み事だ。
何度かインターネットで、女王様を求める男たちの掲示板を覗いてみた。失望した。「真実の愛」というものに裏打ちされた主従関係を求める者はおらず、刹那の性的快楽を求める者たちばかり…おぞましい単語ばかりが映し出された画面に吐き気を覚えた。
ならばと思い、今度は自ら掲示板に書き込んで奴隷を募った。
「当方23歳S女、長身やせ形、仏文学とゴスが好きで、大学で服飾文化を専攻しています。奉仕型M男性を求む。鞭が好きですが、縄化粧に自信があります。精神的な関係を重視します。既婚者、未成年はお断りします。」
何人かの返信はあったが、こちらでも絶望させられた。まず、不特定多数の女王に同内容発信していると思われる文章に腹が立った。他には私の若さや身長といった外的要素だけに惹かれている者が大部分を占めた。瑠璃に興味を持っているというより、23歳のスレンダーな女と性的なプレイをしたいというメッセージが強く感じられた。
それでも中には好感触の者がいたので、何度かメール交換をしたが、実際に会うのは恐ろしくて、そのまま音信不通になってしまった。
大学でも出会いはあった。おせっかいな級友たちが「紹介」してくれるのだが、大体身体を求めてくるのでうんざりさせられるし、調教してもついてこられるようなM性のある者はもとより、愛を注ぐに値いする男がいない。その内、178センチの身長とゴスファッションも手伝ってか「すぐ鞭持ち出す女」として大学内で有名になってしまい、孤立した。

そんなとき、荒井慶騎が店に現れた。
慶騎の著作を読んでいたし、本にはいつも「著者近影」が載っていたし、雑誌にもよく載っているのですぐに「ああ、荒井慶騎だな」と解った。
特にファンというわけではないので、適当にいつも通りの接客をした。ネックレスを買っていった。
暫くして、いつも通り公園でばあや手製のランチをとっていると、荒井慶騎が現れた。最初、うざったいと思ったので無視したが、ちょっと話してみたいと思った。
案の定、食事にでも、と誘ってきた。
すぐについていくのはいやだったので、そのときは断った。この程度で諦めるようなら、願い下げだ。
けれど、その日は帰宅してからずっと荒井慶騎のことを考えていた。
荒井慶騎は、どう思って私を食事に誘ったんだろう。
私は彼がMであることを知っているが、彼は私がSだと知らない(今日知ったわけだが)。
単に、私とセックスしたいと思ったのか。
あわよくば女王になってもらおうと思ったのだろう。
荒井慶騎を奴隷にしたらどうだろう。
そう考えたので、今日、話をしてみた。
彼はやはり、私がSだと解って嬉しそうだった。
荒井慶騎は「痛いの怖い」、なんて甘ったれたことをエッセイに書いていたが、私の為にだったら耐えるだろうか?
試してみてからでも遅くはないかもしれない。

だけどそれは、と思ったそのとき扉がノックされて、ばあやが夕飯に呼びにきてくれた。



「珍しいな」
「うん、まあ、ちょっとばかり、退屈したものだから」
最近慶騎の様子がちょっと違うので、様子を見にきた。
「綺麗に暮らしてるのね」
「後で片付けるの、面倒だからな。パソコンの周りとベッド周りは散らかってるけどよ」
ソファに掛ける。すごく大きなソファ。2メートルくらい、ありそう。レザー張り…きっとイタリア製の、なんといったか、有名なブランドのものに違いない。
慶騎は今日もジーパンを穿いている。
「そのジーパンもセブンなの?」
「そうだな。姉貴はセルフォンティーヌとかのが似合いだろうな。ピンク色のステッチがしてあって可愛いぜ」
「でもさ、セブンもそうだけどあれは細いね」
「がんばってダイエットして、せめてジューシークチュールのジーパンぐらいは穿けるようにしたらどうだ?」
ジューシーのは、ウエストがかなり大きめのサイズからあるのだ。ちょっとカチンと来たので、話題を変える。
「最近慶騎さ、表情柔らかいね。なんか、口調も普通に戻ってるし。レンアイしてるの?」
「しらねーな」

<第六回 終・最終回に続く>


荒井慶騎と世都セレナ