Noir/ Rouge noir
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| 2005年10月28日(金) |
連載小説「 芳香の女王、彷徨の王子」第5回 |
レジを終え、いつものように挨拶して帰ろうとした。 「あの…」 やっと花山さんの方から話し掛けてくれた、と思い嬉しくなった。 「あの…私、今日…もう、上がりなんです」 花山さんは、俯いていて、しかもちいさく震えていた。 「今日…って、これから…御時間…ありますでしょうか」 「あります」 花山さんは、俺を見上げた。そして強張った表情で言った。 「どこかで…あの…貴方と、御話を…したくて」
「素敵な喫茶店ですね!」 俺は店に入るなり、ちいさく言った。 「カフェっていうのかなあ、俺そういうの、疎くって」 花山さんはやっと微笑んでくれた。 俺とこの店に入るまで、花山さんは黙って俯いていたのだ。俺の方としても何を話しかけていいか解らず、困惑していた。ここが近くで良かった。 「喫茶店…で良いんじゃないかしら…」 席につく。レトロな内装がほっとさせてくれる。 「よく、御仕事の帰りに…来るんです」 「可愛い御店ですね」 スタッフが近付いてきたので、花山さんはカフェラテを頼んだ。 俺は慌てて、「ホットミルク」と言った。 「なんか、甘いの飲みたくて…コーヒーとかは苦手で…」 考えていなかったので、つい正直に言ってしまった。 取り繕う暇がない。 俺は改めて、花山さんの顔を見た。 なんと可憐。なんと清楚。そして…何故か官能的。この、清らかさのなかに暴力的な迄に優雅に薫り立つ官能は、一体何だろう。 綺麗に描かれた眉の上で揃えられた厚い前髪。 目蓋に煌めく、とてもちいさな光の粒。 美しい弧を描くアイライン。ていねいにマスカラを塗った、長い睫毛。つやつやの深紅の口紅。 ちょっと残念なのは、肌がすこしばかり乾燥していること。 「あの…御名前は」 睫毛を伏せた儘、花山さんが言った。 「はっ? …ああ、俺ね。名乗ってなかったな。荒井慶騎って言います」 花山さんは一瞬、はっとした。 「…やっぱり…」 ああ、知ってんのか。 「あの、御本…読んでます。『畸形ノ王子様の物語』はとても良かったわ」 「あ…ありがとう…」 「だけど、残念だわ」 「へっ?」 「最近出た…『美神』にはがっかり致しました」 俺は驚愕の表情を浮かべた。 「『畸形』に遠く及びません。10年待たされて、エッセイを読み続けて希望をつないで来たというのに。10年間構想を練っていたと思ったら、リハビリ作品程度のものを世に出すのですか? 『畸形』に息づいていた、重厚さが無い。『耽美』のというものを穢す程に軽薄でしたわよ」 「…」 全くその通りだった。返す言葉がない。 「言い過ぎかもしれません。ファンなら待望の新作を歓迎すべきかもしれません。だけど…残念でたまらないのです。…才能を、巧く引き出せなくなってしまったのね」 俺は恥ずかしく思いながら、言った。 「おっしゃる通りです。ずっと書けなくて…インスピレーションでざっと書いてしまいました。ずっと小説を書けなくて、事務所に悪いと思ってもいたし…出版社と縁を切られたらどうしようという焦りもあり…姑息でした…」 「冒頭にあった、リリカ女王様とユリア女王様に捧げる、って書いてありましたけれど、御二人に申し訳ないんじゃないですか?」 「全くそうですね…」 しばらく沈黙があった。 「…ごめんなさい。批判したくて御呼び止めしたんじゃなかったんです。全く違う話をしたかったのに…」 「いや…全く当然な御話ですから…」 「私が話したかったのは、…私の身の上を、貴方なら聞いて戴けるのではないかと思ったんです。そうですね、この話をもとに一作書いてはいかがかしら。その程度の話ではあると思うの」 「是非、聞かせてください!」
「私は、ちいさい頃からばあやと二人暮らしなんです。 両親は輸入業をしていて、ずっと海外にいます。 あの、私が働いている店は母が経営しているんです。 今は、大学で服飾文化とその歴史を勉強しています。 フランス文学を専攻するかで悩んだんだけれど、 結局両親の仕事を将来継ぐことを考えて、すこしでも役に立つ方を選んだの。 勿論、ファッションにも興味はある…。 以前ヨーロッパを回ったときにゴシックに出会いました。 強烈なショックでした。それから私は服装もゴシック、 メイクもゴシック。生活様式も何かもかもゴシックです。 ゴスピープルは、見た目の攻撃性と違って、 実は菜食主義の平和主義者なの。 私は元々油っぽい食事はだめだし、戦争はなにがあってもイヤ。 まあ、それはいいとして、そのヨーロッパ旅行は、 ある男性と一緒に行ったの。その人の話を聞いてほしいんです。
両親の仕事のパーティーで、そのドイツ人紳士と出会ったわ。 彼は既に初老の域に達する年齢だった。 勿論、奥様も御一緒だったわ。 だけど…私、そのおじさまに一目惚れだったのね。 まだ12歳の私にその恋心を理解することはできなかった。 そのおじさまと意気投合して…まあ、実際には年長のおじさまのほうで話を合わせてくれたんでしょうね。 長いこと、御話したわ。色々なことを。 そして、私は恋に堕ちた。私の初恋は不倫だったの。
彼と肉体関係はなかったの。 けれど、もっと強固な関係を築いたわ。 それは、女主人と奴隷という主従関係。 彼は、私のなかにあったS性を引き出してくれた。 愛する者を痛めつけたい、という欲望を彼は叶えてくれた。私は愛する男を屈服させ、征服して、屈辱と恥辱と苦痛を与えたいの。 愛する男の、身体と人生と心を、縛りたい。 そう心から思っていたのを、引きずり出して実現させてくれた。
だけれど、蜜月は突然に終止符を打たれた。 彼と主従関係を築いて6年目、私は大学進学問題を抱えて悩んでいたわ。仏文科に行きたかったのだけれど、両親の仕事をいつか継ぎたいと思っていたの。大きなビジネスになっていたから、一代でつぶすのは勿体なくて。 その頃、例のヨーロッパ旅行をしたの。 私が進路について悩んでいるのを見かねて、グローバルな視点を持ってもらいたい、と旅行を提案してくれた。 それで、まあ私は進路を決定することができたのだけれど…。 それは、彼との最後にして最大の思い出になってしまった。 彼はもう結構な年齢になっていて、帰国後に持病が悪化して、呆気なく逝ってしまったの。
大学を辞めることも考えた。 勉強する気力を無くしていた。いいえ、勉強だけじゃない。総てのことに興味が無くなった。一年間休学して引きこもったけれど、彼はそんなこと望んでいないって解っていた。せっかく旅行に連れて行ってくれた、彼の気持ちを無駄にしてはいけないと思ったわ。だから大学にも戻った。
だけど、私のなかではもっと重大なことが起こった。 女王としての自信が無くなったの。 今でも、好きな男の総てを縛りたいという気持ちは失っていないのだけれど…それは…叶わない夢なのかと、思うようになってしまったの。 私の加虐嗜好を、そして私自身を受け入れてくれる男性がいるのか、私には自信が無くなってしまった。 定期的に調教をしていたときは、あれだけあった生きる気力だとか、自信だとか、そういうポジティヴな気持ちが全く無くなったの。
ずっと、人とも話していなかった。 御友達、なんて人もいないし。大学では勉強しているだけよ。「合コン」とかいうものに誘われるけれど、面倒くさいし…。
そんなときに、貴方が現れたのよ。 いちばん最初に、御店に来てくれたときに、貴方のことは解った。 「ああ、荒井慶騎が来たわ」って思った。 貴方の作品は、好きだったから。 だけど貴方自身のことは「かなりのエゴマゾ」ってことしか知らない。貴方が御店に何度も来るから、私に御執心なんだってことは解ってた。最初の日から、私のこと盗み見しているの、解っていたし…。慣れているわ、見られることは。まあ、視線は2種類あるけどね。私のファッションをキワモノとして見る男女と、私自身に興味のある男。 貴方が店に来る度に、どこまで本気なんだろう?って思ってた。私の奴隷になりたいと思っているのなら、エゴマゾの性根を叩き直したいと思っていた。 そこから先のことは、わからないけれど。」
そこまで、時間をかけて花山さんは話した。 本物の女王様が、目の前にいる。 俺がエゴマゾであることを見抜いた貴婦人…。 理想通りのレディだ。 俺は戦慄した。花山さんから色々な責めを受ける自分を想像して、久しぶりに塔が固くとがってしまうのを感じた。
<第5回終・第6回に続く>
荒井慶騎と世都セレナ
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