Noir/ Rouge noir
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| 2005年10月26日(水) |
連載小説「 芳香の女王、彷徨の王子」第3回 |
姑くは、何事も無かった。 現在の俺の数少ない仕事であるエッセイ・日記の連載や、それらの写真撮影などで日々が過ぎていった。 依然として小説が全く書けず、さりとて他にできることもなく、こういったことで食い繋いでいる状況だ。 一時はテレビ番組にも出たが、暗いので使い物にならないと止めさせられた。俺もテレビの仕事は待ち時間が多かったりして、気に入らないのでちょうど良かった。
ユリア女王様から調教して戴いて、数週間経った。 俺はユリア女王様…いや、「リリカ様」の面影がずっと忘れられなかった。 いきつけのボンデージショップに、数点のドレスの注文をした。ショップに出向き、リリカ様の写真を何点も渡し、そのなかで同じデザインがつくれるというものを作ってもらうことにしていた。 金は、所属事務所の社長である実の兄にこのことを話して、用意してもらった。兄はこの話に金の匂いを敏感に感じたのだ。 リリカ様に酷似した女性から調教されれば、荒井慶騎はまた小説を書けるはずだと、兄は断定した。そして、それは現実になりつつあった。 俺はリリカ様の面影に創作意欲を刺激され、すこしづつ物語を紡ぎ始めたのだった。
「慶騎君じゃない。ひさしぶりね」 俺はまた、ここに来ていた。 「ユリア女王様に、贈り物があるんです」 「良い心がけね。どれどれ」 俺は持参したドレスを渡した。 「これを着て、プレイしてほしいのね。ええと、リリカ様だっけ。 その人が着ていたの、こういうのを?」 「そうです」 「リリカ様」は後ろを向いて仰った。 「ファスナー下ろして」 「えっ!?」 まさか目の前で着替えられるとは思わなかったので、俺は頓狂な声を上げた。 「私の言うことがきけないの、慶騎君!?」 「…失礼致しました、御手伝いさせて戴きます」 俺はていねいに、心を込めてファスナーを下ろし、脱ぎ易いようにストラップを肩から外して差し上げた。 「いい子ね、慶騎君」 つい視線は、下の方へ。「リリカ様」の臀部が視界に入った。 白く、滑らかな…ライチみたいだ、と思った。こんなにも美しいライチは存在しないだろうが。 「ドレス、とって」 「リリカ様」はレオタードから足を抜いて、ガーターとストッキングとブーツだけの御姿だった。俺はその後ろ姿の美しさに心を打たれ、無言でドレスを渡し、心を奪われたようにその御姿を見つめた。 俺は震えながら「リリカ様」に跪いて、陶然としながら「リリカ様」の御尻のすぐ下の太腿の部分にくちづけした。全身が…とりわけ唇が、震えていた。シャネルの「エゴイスト」の香りがする。リリカ様の香りがする…。 「あら、慶騎君。誰がそんなことして良いって言ったかしら?」 「ごめんなさい…」 俺は、涙を流していた。「リリカ様」の神々しい御肌に唇を押し付けたことに、感動して興奮していたのだ。 また、涙が流れた。
俺の散文詩集が発売された。 印刷部数はそう大したものではないが、帯に「荒井慶騎の女性崇拝の世界、復活!」と大袈裟に書かれていた。 タイトルは「美神」。 1ページ目に「リリカ様とユリア女王様に捧ぐ」と記されている。 発売に合わせてサイン会を行った。 数は多く無いがゴスロリ少女たちが集まってくれ、暖かい感情が胸に流れて行くのを感じた。俺の本を買ってくれ、逢いに来てくれる人が実際にいるのか。珍しく俺は笑顔を浮かべて、ひとりひとりに対して俺なりに誠意をつくして話し掛け、サインをし、握手をさせてもらった。予定には無かったが、俺と写真を撮りたいという少女たちの願いを叶えた。 そしてゴスロリ少女たちは瞳を輝かせて俺を見上げてくれた。俺はまた本を書こう、素晴らしい小説を書こうと思った。
「リリカ様の為に、御本を書きました」 俺はまた、マゼンタピンクの絨毯の部屋にいた。跪いたまま、 両手で「美神」を捧げていた。 「ありがとう、慶騎君」 「リリカ様」はソファに座ったまま、優雅に腕を伸して拙著を受け取ってくれた。 「綺麗な本ね」 「ありがとうございます。俺が、自分で装丁したんです」 「いつも、そうしてるの? 自分の本は、自分で装丁を?」 「そうです」 「自分の本に、思い入れがあるのね。良いことだわ」 俺は「リリカ様」に褒められて、俺は誇らしかった。 「リリカ様」は暫く中身を優しい眼差しで読んで、 「家でゆっくり読むわ。これ、戴くわね」 と微笑んだ。 「是非…俺の自信作なんです。何年も書けなかったけど…これは、復活作なんです。復活作に、相応しい出来だと思います。がんばって書きました」 「そうなの。とっても楽しみ。今は、慶騎君に御褒美あげないとね」 条件反射のように、俺の剣が強張った。 「嬉しそうな顔ね。慶騎君、エッチなんだから」 「ごめんなさい」 謝っているのに、俺は笑っていた。
「ねえ…」 「は、はい!」 俺は射精の直後だったので、心地よい気怠さのなかにいた。「リリカ様」に呼ばれ、弾かれたように返事をした。 「いいの、ちょっと個人的に聞きたいの。ちょっと『リリカ様』休憩ね」 「はい…?」 「リリカ様って、どんな人?」 俺は表情が固くなったのを、自分で感じた。 「ヒトじゃない…」 「えっ?」 「いや、それだけ俺が偶像視してるってだけで…」 「へえ」 へえ、か。やっぱり「素」はリリカ様と違うんだな。 「あらゆる光をその身に纏う、完全なる美の化身」 「美神」のなかでも使った表現だ。 「随分とまた、詩的な表現ね」 「リリカ様には、そのくらいの大袈裟な表現が似合うんです。知的な、愛らしい貴婦人です。あれだけの美女なのに、全く驕らないし…あと、恥ずかしがり屋で、かわいらしいところもある」 「大好きなのね」 「好き、というのとは全く違いますね。崇拝しています。リリカ様だけを」 ユリア女王様は、真剣な面持ちで俺の話を聞いていた。 プライヴェートなことは全く知らないが、良い人かもしれない。 俺は、真剣に人が話しているときに茶化す奴が大嫌いだ。 少なくとも、この人はそんな人ではなさそうだ。
リリカ様は、歌手でした。 俺は偶然テレビ番組でリリカ様を見て、一目惚れでした。 そしてたまたま行ったライヴで偶然、リリカ様のバンドを見て… その時、俺の運命は決まりました。 俺は一人勝手に、「この方にずっと随いていこう」と決めたのです。 ライヴに必ず行き、手紙を書き、贈り物をしました。 リリカ様は俺を覚えてくれました。 リリカ様は歌手とファンの垣根を越えて、俺を可愛がって下さいました。 あるとき、リリカ様の彼氏を紹介されました。 嫉妬は全くありませんでした。だって俺は、リリカ様の男なわけではないし、リリカ様にとっては…叶わぬ片想いに身を焦がす、汚らわしいエゴマゾ男ですから。 却って、俺はその人を「男神様」だと思ったのです。 けれど…男神様は酷い人だったのです。 リリカ様と男神様はちょっと、トラブルがあって…、だからリリカ様はショックで寝込み、そして遠くに行ってしまわれたのです。俺は男神様…いや、犬畜生にも劣るその野郎を殺そうと思いました。 真剣に、殺害方法を検討する日々が続きました。 何度も何度も、そいつを刺す場面をシュミレーションしました。 俺に隠れた犯罪は似合わない。 白昼堂々、その野郎を刺し殺そうと心に誓いました。 しかし…俺は意気地なしです。…実行することができませんでした。 その野郎を怨み続けることだけが生き甲斐でした。 でも、そんな気持ちも3年くらいで止みました。 今は、恋愛の縺れなんて、大人にはよくあることだと解る。 これは二人の問題だって、割り切れたんです。 でも、もうリリカ様は傍にいない。 俺を無言の内に教え、諭して、導いてくれる女神は…いないんです。 そして、小説を書くことができなくなりました。 マンションを追い出され、姉貴にやっかいになりながら雑文をたれ流して糊口を凌ぐ毎日。 やりがいのあることも無く、なにものにも情熱を注ぐことができず、名文は閃かない。俺は酷く焦りました。でもなにもできない。 最初の数年は、破壊的な日々を過ごしました。 手当りしだいに街で喧嘩をし、家のなかのものを壊し…そんなエネルギーもすぐに尽きて…それからはながいこと、無為に日々を過ごしていました。 そんなとき、ユリア女王様、貴女に出会えた。 貴女には、深く感謝しています。 ここに来て貴女に会って、いじめて戴くことに情熱を注いでいます。 貴女の御陰で、インスピレーションが湧きました。 だからこの散文詩集も書けたんです。 小説も、すこしづつ書き始めました。 ありがとうございます、ユリア女王様…
俺は跪き、涙を流し、頭を深く下げた。 ユリア女王様は暫く、無言だった。 顔を上げられず、ユリア女王様の表情が解らなかった。 どう思われているのだろう…。
「ごめんね」 ふいにユリア女王様は言った。 俺は弾かれたように頭を上げ、ユリア女王様を見た。 ユリア女王様は困惑した表情を浮かべていた。 「ごめんね。あのね…慶騎君、仕組まれたことなの。これは」 「…?」 俺は意味が解らず、ただユリア女王様を見上げていた。 「慶騎君のお兄さん…麗綺さんに、頼まれたの」 「兄貴に…?」 「私、女王様じゃないの。…私、貴方と同じ、麗綺さんの事務所に所属しているの」 「えっ?」 「私、えっと…舞台女優…なの」 「…女王様では、ない?」 「無いの。騙して、ごめんなさい。縛り方は、キャリアのある女王様に見えるように、大分練習したわ。サディストでもないの」 「…」 「裸になったりするのは、仕事だと思えば平気だけれど…男性を虐めるのって、難しいわ…」 今度は俺が黙る番だった。 「麗綺さんから、頼まれたときは演技の勉強になるし、ギャラが良かったので快諾したの。 それに、お兄さんから『人助けだと思って』という言葉が…耳に残って。 貴方のことは、前から知っていた。写真を見ていたからね。小説は、ごめんなさい、読んでいないの。あっ、この『美神』は勿論読むけど…。 リリカ様のことは、お兄さんからよく伺った。ビデオを見せてもらって、随分仕種とか、勉強したわ。CDも繰返し聴いて、声を熱心に覚えてね。勿論、香りだって同じ物を買って使った。普段はもっと軽い香りが好きなの。 お兄さんからも、太鼓判を戴いた。さすが女優だ、って褒められたわ。 お兄さんは、貴方が小説を書けないことを苦しんでるって言ってた。 ミューズがいれば、書けるようになる筈だけれど、リリカ様にすごく似てる女性じゃないとダメだろうって。それで、顔だちと容姿が似ている私が選ばれた…」 ユリア女王様は一呼吸置いた。 俺が自分からSMクラブに行くわけがないから、世都君は兄貴に言われて協力したんだろう。 「…だからリリカ様のことや、何故リリカ様がいなくなってしまったのかもお兄さんから伺って、知っていた。だけど、貴方の口から聞きたかったの。貴方がリリカ様をどう見ていたか、どう愛していたか、聞きたかった。ああ、ごめん、愛じゃないのよね。ええと、宗教っぽい、神への愛なのね。ごめんね。とにかく、今、その総てを聞いて、感動した。辛かったわね、慶騎君…。私はやっぱり、リリカ様にはなれない」
<第三回終・第4回に続く>
荒井慶騎と世都セレナ
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