Noir/ Rouge noir
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2005年10月25日(火) 連載小説「 芳香の女王、彷徨の王子」第2回

「今年の泉鏡花文学賞受賞作は、新人荒井慶騎君の「畸形ノ王子様の物語」に決定しました! 荒井慶騎君、壇上へどうぞ!!」
華々しい音楽が鳴り、俺は照れた顔で立ち上がった。
今日の為に新調したスーツ。黒地にグレーのピンストライプで、ちょっと女性的なシルエットに仕立てて貰った。
ジャケットはウエストシェイプで、パンツはすこし裾をフレアーにしている。黒いタイをつけ、襟にはシルヴァーの薔薇のコサージュを飾った。
仕上がってきたときは「一昔前のヴィジュアル系よ! マフィアよ!」なんて姉貴は言ったが、俺は気に入っていた。
俺の小説を選んでもらったことも嬉しいが、素敵なスーツを着ていることも晴れがましかった。
俺は壇上に上がりーーとても緊張していたーー、みなさんの前に立つと気恥ずかしさもあり、自然に笑顔を浮かべた。
「このドリアン・グレイのような美青年があの「畸形ノ王子様」の生みの親なのですね! まるで小説からそのまま畸形ノ王子様が現れたようです」
「ありがとうございます」
「誰とこの受賞を祝うのですか?」
「俺は彼女というのは今はいませんから、俺の女神、リリカ様に御知らせしたいと思います。リリカ様、やりました!」

いつも通りの夢で目が覚める。
数年来、御馴染みの喪失感…。
あれを書いたのが、そもそもの間違いだったのだ。
あれから生活が変わった。
御取り巻きの女性の数が増え、何を血迷ったのかテレビ番組なんかに出てみたり、雑誌でアイドル歌手のように得意げにインタビューを受けたりしていた。
愚かな日々。
うわついて、何も考えられなくなっていた。
小説が書けなくて焦っていると、段々と取り巻きの女性たちは姿を消した。
俺は外出しなくなり、携帯電話は充電が切れたままになり、そして、リリカ様も去った。
俺の手元に残ったのは、この空虚というもやもやとしたものだけ…。

「ここやで」
世都君は俺を地下のその店に誘った。
俺はそこがパンドラの箱であるとも知らず、その扉のなかに吸い込まれた。
「ここは…?」
「SMクラブや」
そう聞いて落胆した。以前に出版社の人が連れてきてくれたが、俺好みのエレガントで知的な女王様がおらず、顔で選んだ女王様が余りにも下品な言葉遣いなのに呆れ、プレイ途中で女王様を置いて出てきてしまったことがある。
「普通のSMクラブやないで。慶騎君好みの、知的でエレガントな女王様ばっかりやで」
「本当ですか」
そんな職業女王様がいるわけがない、という反論は引っ込める。
「それだけやない。女王様の写真見て驚きや」
世都君は含み笑いを浮かべて、受付まで歩いた。
彼はSなので、M女をここで買っているのだろう。どんなプレイをしているのだろうか。
受付で女王様の写真の一覧を見せられた。俺は愕然とした。
「リ…リリカ様!?」
受付の男が「当店にはリリカ様という女王様はおられませんが…」
と言い、戸惑った表情を浮かべた。いや、よく見れば全くの別人であると解る。
しかしはっとする程、雰囲気が似ている。
大きく丸い、アーモンド型の眼。ふっくらとした薔薇のつぼみのような唇。気品ある表情も似ている。髪型は今どきな縦ロオル風の巻き髪だ。
リリカ様は海老茶色のソヴァージュだった。いつもリボンをつけておられた。リリカ様も今頃は髪を巻いておられるのだろうか…
「あ、ああ…人違いです…」
「ユリア女王様になさいますか?」
その女王様の写真の下には「ユリア女王様」と記されている。
俺は思わず、「鞭の御上手な女王様ですか?」と聞いてしまった。
「ええ、ユリア女王様、鞭イケます」
「緊縛は…」
「大丈夫です。あと、黄金はNGですが、聖水はOKですよ」
「じゃ、じゃあ…ユ、ユリア女王様ですか。ユリア女王様で」
俺はプレイ料金として三万円を支払った。

室内はごく淡いライトに照らされている。
黒い壁に、マゼンタピンクのフェイクファーの絨毯が洒落ている。
天井には小振りのシャンデリア。センスの良いロココ風の椅子がある。これはかなり高価なものだろう、と値踏みしていた。アンティークものかもしれないな、と、正座して女王を待ちながら考える。
「お客さん、初めてね? よろしく」
ハイヒールの靴音と共にリリカ様…いや、女王様が現れた。奇跡的に、声色も背格好も似ている。
そして…これは、…この、濃厚な香り…!  リリカ様御愛用のシャネルの「エゴイスト」の香りだ。俺はそのことに、かなり驚いていた。ハイヒールを履いていて、185センチの俺より多少低いくらいか。
「はい、…よろしく御願いします」
正座のまま、大袈裟に御辞儀をした。リリカ様に御辞儀するつもりで。
「なかなか良い子ね。それに、美形。誰かに御仕えしてたの?」
リリカ様、いや、女王様は鞭を俺の顎にあてて、顔を上に向けさせた。
リリカ様に、こんなことをして戴いたことは、ない…。
「い、いいえ…」
残念ながら、リリカ様から直接調教戴いたことはない。俺はリリカ様の奴隷というわけではない。俺の知る限り、リリカ様に奴隷というものはいない。
この女王様はハイレグのクールなボンデージファッションを着ている。
リリカ様はいつもミニスカートでフリルつきの、愛らしいボンデージファッションだった。ストッキングにもいつもこっていて、綺麗なレエスや編み模様がついていた。
「…初心者?」
「え…ま、まあそうですね…」
「歯切れの悪い御返事ね。まあ、なくもないってとこ?」
軽口を叩きながら、女王様は俺の尻に軽く一鞭あてた。
リリカ様にあてられたようで、俺は一瞬陶然とした。
「鞭と縛りがいいんですって? 縛ってから叩く?」
言葉遣いがよい。リリカ様のようだ。
「御、御願いします」
「服、脱いで。全部」
リリカ様の前で裸を晒すなど無かったことだ。俺は激しい羞恥を覚えて、股間のこわばりを感じた。今日は特にこんなところに来るなんて思ってもいなかったので、ジーパンに黒いシャツだった。俺はシャツから脱いだ。
「あらっ、タトゥしてるの? 見せて頂戴」
俺は両腕に大きく、飾り文字で「LILICA」と彫っていた。
「かっこいいわ。なんて書いてあるの?」
デザイン文字なので、咄嗟にはなんと書いてあるのか解りづらい。
「心のドミナの御名前です…『リリカ』…様…」
「へえ」
女王様は立ち上がって、興味深そうに腕を見ている。
思い出す。初めてリリカ様の御名を彫った腕を誇らし気に見せたとき、リリカ様は眉を顰めて「良いの?」と言った。
てっきり喜んでくれると思ったが、リリカ様は俺の将来を思い遣ってくれたのだ。
「俺、良いんです。リリカ様の為なら、地獄にでも喜んで落ちますから」
と言うと、リリカ様はやっと微笑んで「ありがとう」と言ってくれた…。
背中にはリリカ様の御尊顔が大きく彫ってある。これを、この女王様に見られると…。
「背中は?」
「彫ってます…」
俺は意を決して、背中を見せた。
「…これ、私…? 髪型が違う…? もしかして、この人が『リリカ様』って女王様なわけ?」
「そうです、リリカ様の御尊顔です」
「へえ…」
女王様は暫く思案するように、ソファに腰を下ろした。
「リリカ様って人に似てるから、私を指名したのね?」
「そうです」
俺ははっきりと言った。それだけだ。
「そう」
暫しの沈黙。ユリア女王様は怒ってしまったのだろうか。
それなら、それでいい。
「リリカ様になってあげようか」
「はっ?」
「リリカ様になって、プレイしてあげようかって言うのよ。そのほうが、コーフンするんでしょ?」
その方が仕事が手早いのだろう。一種のストーリープレイだ。
「…はい」
「じゃあ、私はこれから、リリカ様よ。おまえも私をリリカ様だと思うの」
「はい」
「リリカ様って、おまえのこと何て呼んでるの」
「は、慶騎君、と…」
「慶騎君ね。…慶騎君、そのジーパンも脱いで。ブーツも、ね」
「は、はい!」
慶騎君、と呼ばれると急に嬉しくなってしまう。
「そのトランクスもね」
「はい…」
「隠しちゃダメ」
「はい」
俺は手で隠していたものを、女王様に見せた。
「うわあ、もうそんなに大きくしてるの。エッチね、慶騎君」
「リリカ様」が上目遣いで俺を見つめ、なんと俺のペニスを握った…。
頭が爆発したかと思った。
脳内ではリリカ様が「慶騎君、私にこんな下劣な感情を抱いてるの…」と俺を責めている。俺は失神しそうになった。
ああ、リリカ様…リリカ様!  もうしわけありません!
「そんなエッチな慶騎君にはお仕置きよ」
「リリカ様」は俺を手早く縛り上げて身体の自由を奪った。そして、鞭を取り出した…。

「どやった?」
2時間後、待ち合い室に戻ると、もう世都君が戻って来ていた。
「リリカ様に、そっくりやったやろ」
「…はい」
「また、来るんやろ」
「…え、ええ。多分」
俺は複雑だった。
あの女王様は最後、「気に入った、私の専属にならない?」と仰った。
俺はそのとき、女王様の御身足を手にとり、一心に足指に舌を這わせていた。そして、愚息をこすることを許されていたので、「リリカ様、リリカ様、申訳ありません」と狂ったようにつぶやきながら、射精した。
「専属奴隷」になるという件は丁寧に御断りしたが、チップとして5万円を「リリカ様」に手渡した。
リリカ様に酷似してはいても、所詮は職業女王様であるし、第一別人だ。
俺は自分にそう言い聞かせた。言い聞かせなければならないほど、俺は動揺していたのだ。

<第2回 終・第3回に続く>


荒井慶騎と世都セレナ