日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら&鍼灸にっき - 2017年05月08日(月)

これまでに感じたことがなかった感情があって、なんだろうこれは、としばらく観察をしていました。
感情の発生するきっかけとなってることは、このことから刺激されているなとわかる。でも、その感情がどうして出ているのか、どういう感情なのかがわかりませんでした。
戸惑いと、なんとなく漂う悲しい感じ、寂しい感じ。

それらを観察していたらいくつか見えてきて、その中のひとつはわたしの思い込みで。

わたしは、

・遠い距離があっても行こうとする
・お金をかける
・時間を費やす

これだけのことをしている、それだけの意欲がある、本気さがある、そうしたときに、「そうしたら、得られるものだ」と思っているらしいぞと気が付きました。
今回、それに対しての「単なる自分の思い込みの可能性」が見えて、それで戸惑ったり悲しく感じたりしていたようでした。

努力は実る。
夢は叶う。

純粋ではあるけど、ただそれだけでいいというある種の妄信さというのか。

ある部分ではこれまでと変わらない同じ考えだったりします。そこに向かいたいという欲求は、その人の才能だと思います。
距離があってもとか、お金や時間をかけることはそれだけ何度も繰り返してやっているわけで、それってトレーニングなわけですし。
「ただそれだけでいい、それだけで十分」というのも、言葉の使い方によってはそうだと思うのです。

ただ、妄信する相手?対象?・・・それに対して、それってどうなんだろう?それを信じてやってるってことか・・・と感じてがっかりしている・・・。
例えば、英語学習本を買っただけで満足するわたしみたいな感じ。
(やってないのに買っただけでやった気になる、みたいな)

この感覚のきっかけは、「なんか優先順位がおかしい」と感じたことからだったのですけど、信じてるものが別のものだから優先順位が違うのかもしれないな、と。
そう思いましたが、なんだかなあ、という感じが漂っています。

自分の持っていた期待にも気づきます。

一緒に。同じように。同じ速度で。同じものを見たのだから。

実際は、同じものを見ていないんだなって。
そう思う自分も出てきました。


今回この感情を感じてみて、なんか悲しい感じがしつつも得たことがあります。

・わたしは自分よりも先に進んでいる人を孤独に感じさせるようなことはしない、という思い
(今は離れているかもしれないけど、ちゃんと行くからね!みたいな)

・自分が大変だった時期に、どのように自分は接していただいていたかを思い出していこう
(自分も同じことをしていて、同じ道を歩いているということを認識した)

・同じものを見ていないように見えることもあるけど、同じものを見てることを再確認


先日のACIM集中クラスのときに自分自身に対して感じたものと、質としてはとても似ていて、あの続きのような気がしています。
いまだ消化中なのだな。




鍼灸にっき。

先日のジャックさんのクラスで、鍼灸をプレゼンシングで行うことへのチャレンジを見せていただきました。
ジャックさんがクライエント役で、鍼灸師の生徒さんが鍼を使って施術をしました。

(ちなみにわたしもその時に脈診のまねごとをさせていただきました。脈とか血管の感触とか、あんなに瞬間瞬間で(体感で感覚できるほどに)変化するものと思っていなかったのでそれもおもしろかったです。)

で。
わたしも今、鍼灸に通っているわけで。

えー。そんなの見ちゃったらわたしもお願いしたーい。
わたしもジャックさんが体験したことを感覚してみたーい。

と思ったので、早々にわたしがお世話になっている鍼灸師さんへメールしてみました。

わたしは思いたつと行動が早いのでそこに何の躊躇もないように見られることもありますが、内部ではいろいろと起こっています。

わたしは自分の本心を伝えるということをとても苦手にしています。
不和が起こることを恐れるところがあるからです。
だから、初対面で話すことは気が楽だし(そういう意味では人見知りをしない)、長く付き合うほどに難しく感じる部分が出てきたりします。

が。

「不和が起こること」
「起こるかもしれないと、起こってもいないときから恐れること」
それらに対する自分にとっての価値、重要度が最近高くはなくなってきていて。

それは、思い切って自分の本心を言ってみたらうまくいく、という成功体験が経験できてきてることも関与していて。
そもそもそんなに強い感じで自分の考えを押し付けるようなこともしないので、結構おもしろがられたり受け入れられたりしていて。
そしてわたしが相手の人にとって謎の人ではなくなる分、コミュニケーションも楽になったりして。

そんなわけで、今回も若干の「えいやっ!」と飛び込む感じを感じながら、結果を楽しみに待つ、みたいな感じで問い合わせをしました。

「治療体系と違っていたらごめんなさいだけど、できることは協力しますよ」というような内容のありがたいお返事をいただき、今日はレッツトライでした。

で、感想としては。

超!満足!
ある部分で、「成就!」という感覚がしました。

というのは、わたしは昔からマッサージとか整体などのワークを受けに行くと、どこか不満があったんですよ。
どこで不満を感じたかはわかるのだけど、それを施術者さんに伝えたとしても、罪悪感や正しさへの固執みたいなものを施術者さんに与えるだけであまり伝わらない、伝え方がわからない、みたいな感じでいたので、どうにもこうにもでした。

わたしはそういう感じだったので、
「癒しって何だろう?」
「どういうことで人(わたし)は癒されるんだろう?」
ってずっと思い続けていて、そこから心理的なことやスピ的なこと、そして痛みのないボディワークへと興味が向かったのですけど。

そうだったんだ!と今日思ったのは、
「自分がどのような施術を受けたいのかを、それを伝えられるようにわたしはずっとなりたかったんだ!」
ということでした。
わたしが受けたいと思っていた施術は、「共有する施術」「やりとりのある施術」だということもはっきりわかりました。
わからなかったのだから伝えられないわなー。

もともと、わたしの通っている鍼灸師さんには素養(?)を感じていたのですが、ここに「共有」というのを加えられたら!と感じました。
自分にとって無理なことは断り、無理じゃないかもしれないことにはチャレンジしていただける、そこがまずわたしが感じられた「素養」かもしれないです。
(なんでもかんでも言ったことをそのまま受けてくれそうな人だと、逆に言いづらくなるわたしです)

メールでは、「施術中にもっとマインドフルネスをやってみたいんです」というようなことを伝えていました。
今日お伺いしたときに、実は施術するときには(鍼灸師さんは)マインドフルネスになってるんですよ、とおっしゃっていて、そりゃあそうでしょうとも!と思いました。

わたしはマインドフルネスがやりたいのでそれがうらやましいんだよー!という自分の心の叫びを聞きながら、「それをわたしも共有したいんです!」と実際にも言っていました。

いやあ・・・すごい満足です。
なにこの満足感。
ここまで、これまでずっと奥底で自分が望んでいたものを感覚できるとは!という感じです。

鍼灸師さんは言葉の使い方が上手で、たとえ判断のような内容をおっしゃったとしてもそれをIメッセージで伝えてくださるので、その判断との間に空間を持つように聞けました。
そしてそういうように聞こえるということをわたしのほうでは伝えたり、鍼灸師さんがやっていること、今感じられていることと関係するような感覚があったら伝えたりすることができたし、感覚の表現がわたしにとってわかりにくいときには問いかけることができたり、鍼灸師さんは今そういうことをこの体の箇所で感じられているんだな、ということでわたしのほうはどうだろう?と体の感覚にも興味を向けることがしやすかったり、などなど・・・。
あと、そう! 共有できてる感覚。やりとりがある感覚を感じられました。

うーん。
ジャックさんのクラスを受けたことない方だけど、超うまくてすごーい!って感じでした。


...




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