日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2017年03月08日(水)

鍼灸に行くようになって、まもなくひと月。
息苦しさなどの体の反応がなくなる状態に戻る、ということが出てきました。(ひと月前までは、なにもなくても戻らなかったのでした)

息苦しさの反応はあるし(出るときが明確に見える)、息苦しさのない状態に戻ってもある部分は戻っていないまま、という感じはありますが、その行き来を感じられるくらいには回復しました。

それで、おお、すごいぜ!と思ってたんですけど、ふと昔の自分を思い出しました。
20代の、肩こりでマッサージや整体に通っていた頃の自分。
何度行ってもすぐにコリのある状態に戻っちゃうよー、と思ってた自分。

いやあ、ない状態にも戻れるってこと自体が素晴らしいですよ。
あるから駄目だ、ないから良い、というのではなくて、この行き来がある、というのが素晴らしいんだなあって感じました。

マッサージや整体という体のワークだけでは駄目だ、と思って、精神的な、心理的な側をワークする方向にわたしは行って、それはとても助けになっているのですが、精神的な側「だけ」でも駄目だということがわかりました(笑)
精神的・心理的な理解が体を助けてくれるのと同じように、体側へのワークがだいぶ、精神的な面、心の面を助けてくれるぞ、ということを感じた今年初めでございます。
このこともまた、どちらへも行き来がある、というのが素晴らしいんだな、とわかりました。

なんで今回こうなっているかというと、まあ、秋冬クラスでそれほど自分の体への施術(デモ)の機会を持っておかなかった、というのもあるでしょうし、それから他にもいろいろあります。

そのひとつは、今朝に夢で見て、ああ、って感じなんですけど。

1月頃に実際にあったこと(感じたこと)が、別キャストで演じられててそれを見た、みたいな夢でした。
「あ、わたしは舞台の中ではこう見ていたんだな」というのを舞台の外から見る、みたいなことができる夢でした。
あー、ここでわたしは悲しくなったんだな、とか。舞台の上にいて、そこまでは感じられてない、みたいなこと。あー、わたしはこれをそう受け取ってそれが悲しかったのか、って。

個人的におもしろく感じたのは、ある怒りでした。
「わたしが言った言葉(ACIM的に述べるなら、「神から離れた、罪悪感にまみれた言葉」)をそのまま鵜呑みにしやがって!」みたいな怒り。

なんだ?この怒り、、、超言いがかり・・・と怒りの奇妙さ対してに思いつつも。
あー。
あったわー。
みたいな。

わたしは、自分だけでは難しいと感じています。
後から考えて、なんですけど、わたしが「神と共にいられた」ときの言葉は信じてもらえない(もしくは軽く扱われる)のだ、とかも思っていたなあってのも見えました。

実際そうしているとき(「神と共にいられた」とき)は全然落ち着いていたわけですけど、あとからその出来事を振り返ったときに、わたしのエゴさんパートが、もやもやもや〜。「旦那〜、軽く扱われてますぜ。やっぱ、たいしたことじゃないんですぜ。」と語りかけてくる。

いやあ、実際は別段軽く扱われてないのですけど、、、
まんまとそのエゴさんの言葉を信じるわたしですよ。

まあ、これらを夢で見ましてですね。

で?どっちを選ぶの?

となったら、そうね、神よねー、怒りとか不信とか罪悪感とかそっち方面のものじゃないわねー、みたいな。

相手が無意識に要求している(ように受け取った)ことを、わたしは無意識に答えたところがあったんだなあ、とか。
それに意識的であったなら、こうなってないなとか。

そして、「感情的に、感覚的に嫌だから入らないようにしてた、避けてたのに入ることになって怒ってる」みたいなところもあるなと。

なので、「あ、なんだ。それなら、入っちゃってよかったんだわ」と思ってる現在です。

だけど、これらを体のケア、体からのアプローチなしにやろうとか無謀ですからー。

ケアするということに関して、20代は体だけ。
30代は精神中心。
じゃあ40代は?って感じです。

20代の時は、施術を受けて「あ!わたしの体のその部分が固い!動かないね。」と気づいて、あー気持ちいいー、って感じでした。
気が向いたらやってもらったのと同じところを押してみよう、みたいな。
押したら気持ちよくなるだろう、という機械的というか知性的な考え方。

今は鍼灸に行くと、
「あ!わたしの体のその部分が固い!動かないね。」
と気づいた後に、
「その部分は自分で意識したことないね。」
「え?これって解剖的には体のどこの部分だろう?」
「家に帰ったらどこの筋肉か、どことどこにつながってる筋肉か調べよう〜。」
「固さの感覚を感じられたところは、わたしの体の外から見るとどの辺りだっただろう。」(鏡で見る)
「自分で外から触って、その触られた筋肉の感覚が筋肉の構造と一致してるか感じてみるんだー。」
みたいな感じ。

少し回復してきた今、それをいちばん楽しめそうです。
もっと回復したら、気づくこと自体が職人技になりそうでそれもまた楽しみですが・・・まずは今。


あ、病院でも検査済です。
今回、病院の良さも感じられました。
わたしの場合はですが、数値で表してもらえると落ち着くということがわかりました。それから、今後どういう風に進めることが可能か、ということを提示していただけるので、だだっ広い海の真ん中でぽつーん、みたいな感覚になりやすいわたしとしてはそれがとてもありがたい。
あっちもあるし、こっちもあるんだ、みたいなのがわかるだけでとても楽。
それから、先生が落ち着いていて、フレンドリーで、というそれだけのことがとても重要と感じました。
わたしは緊急性がなかったからというのもありますけど、いろいろを決めつけずに、どうしたい?これはやっておきたいって感じある?と聞いてもらえるのもありがたかったことのひとつでした。

ほかの方々はどうなのか知りたいところですが、わたしは感覚だけに頼ってると妄想が出てきます。
それなので病院で話をする、検査をするということで妄想が止まるし、こっちでいいんだな、こっちがいいなって確信することに使えて、変な話、病院っていいなと思いました。


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