つらつら - 2011年03月25日(金) 考え方が自分とまったく違うな、と感じて観察していると、伝えたいことを発言したとしてもその人の中で違う意味に変換されるということがある、ってことを理解した。 どうしてもその目線で見たいのだなあ、と。 その目線で見ると全てそうなるのだなあ、と。 自分が自分の考えを「正しくなければならない!」としていないならば、まあそれなりに興味深いなあ程度で終わるなあ、とも思った。 たとえ誰かに認めてもらわなくとも、わたしにとって正しいのは変わりないからだろうな。 だから、「そう思うのだなあ」とただ見てるだけで終わる。 インターネットといえばアカシックさん。 ネットで情報を得ようとするひとが得られる情報。 アカシックさんから情報を得ようとするひと(意識的)が得られる情報。 ネットを使う人と使わずにテレビや雑誌の情報のみを使う人との違いみたいなものを思って、ネットを使わないひとが、ネットから得られる情報を利用できるようになるには?と疑問が出た。 それなので、アカシックさんで例えるとどうなのかな?と思った。 どうしているのだろうなあ。 これまで聞いたことのない恩着せがましい言葉とか、被害者的な言葉を耳にする。 ただ眺めているが、ときどき重くなる。 おおう!重くなっとるわいとまた眺めるポジションに戻る、みたいな感じを繰り返している。 例えば、ガソリンを入れようとした福島ナンバーのタクシーさんが、他県のGSさんに拒否られた話を聞いてそうなった。 拒否の理由がなんというか、小学生か?というようなもの。 小学生に話すように、こういうことだと思うけどどうしてそう思うのかな?と落ち着いて話せれば、相手の人も自分がおかしいことを言っていると気づきやすいだろうと思う。 と思いつつ、感情としてはやだなーと感じるので感じとこう。 相手もだし、それに恩着せがましさや被害者的なものを使って返すことも、わたしにとってはどっちも嫌なもの。そんなの思ってホントにこれまで生活してたか?みたいな。 やだなー。 そんなわけでというか。 最近、一緒に過ごしたい人かどうかが、会話をしたり長く時間を一緒に過ごしたりする必要なく、すごく簡単にわかる。 興味深いので観察を続ける。 ...
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