つらつら - 2011年03月07日(月) 自分の感情を見てると、なしてそんな思い込みをしてるだ?ということによくたどりつく。 今日、なんか緊張をしたので何かしらと見てたら、「ここ以外に居場所がない!」というのが出てきて、…ええとー、そ、そお?と戸惑いました。 DSゴーストトリック、終盤です。 おもろいですねー。 ノリや作りが逆転裁判だなと思ってたけど、解き方も逆転裁判系だなと思った。 逆転検事の方だと、言葉の組み合わせで矛盾を追いこんでいく感じ。ディベートみたいな感じ。 逆転裁判とかゴーストトリックだと、イメージして推理する感じ。これが動いたらこうなるかなとか、これが転がったらこれがこうなって、とか。 わたしが逆転裁判のが好きな理由がここにもあるなあ。みっちゃんも逆転裁判のみっちゃんのが好きだ。 (いじられてほしい) この人はこういうことが言いたいのだな、とわかることがある。 言葉自体じゃなくて、感情として。 この方の場合はここを突くと感情が満足するまで放してくれなくなるな、とかわかる時もあるので、それを避けることができてよい。 避けられない時は、自分に正直に接していればOK。相手の方が違和感を感じるのか、それとも落ち着きを取り戻しやすいのか、延々と時間をかけなくて解決する。 また、がまんしていると見える人が、あとからガス抜きとして行う表現を見てる時もある。バランスとってるんだなーと。 言葉をあまり聞かなくなってきた、もしくは逆に言葉だけ聞くようになってきたような気がする。 というか、感情と言葉を、それぞれとして聞くようになってきたかもなあ、と思う。 あとは、以前どうして不満に思われているのかわからないことがあったのだけど、その方の会話を聞いていたら他の話題で似たようなケースが出てきたため、照らし合わせたらよくわかった。 あー、そういうことが嫌いなのだなあと思った。 まあそれだけです。 わたしはその価値を持っていない。それがわかった。 これがこうなったらああなるな、ということが望んでいないものという時。 ただ、それを望むものに向かうだけになってきている。 わかっていることに対して気落ちしたりしない感じ。 今日、ふとその感覚が来た。 望まない未来はわかっている、けどそれはただ選ばないために認識しているだけで、望む方向へ行動。 自分の言葉として、「それは(そっちを選んだ未来は)とてもおそろしいですね」と発したのだけど、それを選ばないとわかっているから全く恐れていない感覚を味わって、とても興味深かった。 先日書いた変換について。 言葉を変換したというよりも、その言葉に乗せた感情を、わたしが使っている言葉で近いものに変換したように思う。 そういう風に見たくないってよりも、「そうではない」とわかっている感じに近いなあと。 どうしてわたしは感情を感じるのをずっと避けてきたのか。 ものごとを進めるため、とかいろいろあるのだけど、最近気づいてきたのは、「いやだなあ」と思いたくない自分。 「いやだなあ」と味わって、いつまでも「いやだなあ」と思っていないようにすればいいのだ。 宗教に入ってるの?とこそっと聞かれた。 え?わたし!?と聞き返してしまった。 興味なさすぎる。。。(^_^;) スピ的なことが話題の始まりだろうけど、どういう人のルートでどういう話を聞いてどういう風に感じてそういう結論になっているのかが、とてもおもしろそうで気になった(^o^) 自分がやりたいことを誰かにお願いして、それが不満だった時。 もうすぐお彼岸だから思いだしたのだけど。お墓の掃除。 兄にお願いしているものの、不満だったわけです。ええ…? これでOKなの?と不満だった。 その不満。 自分の「やってあげられない…」という申し訳なさだったり、自分の時間をそこへ向けないことへの気持ちだったりするよなあ、と思った。 不満に思ったら、自分の満足いくようにすればいいさ。 どのくらい、自分の時間をついやすか、決めればいいさ。 不満も消えるのね。。。 ...
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