つらつら - 2011年01月12日(水) 今日は久々に自分だけに使える休み! というか、気分がそんな感じ。 これまでも行動としては自分のことだけやってる日は作れていた。 「決める」ってことを思い出してきたんだろうなあ。ああすてき。 午後から、家にある服全員とお話ししあう予定。お別れか、情熱を確認か。楽しみー。 しかし母とのことばかり書いているけど、父とのこと、なにも出てこないなあ。 ずっといつでも大好きだったし、尊敬してたし、ほめられたいとか好かれたいとか思わなくても、わかりやすく好かれていた&大切にされていたってわかる感じだったけど。(うう、感謝) ほんとに、なにも葛藤がないのかなあ。一緒に生きてきて、なにもないってあるの? 今のところ、母に対しての感情を見つめる時の比較対象。 ほめられたい、でもなんでも「〜したい」「〜がほしい」って時は、自分に対して否定があるんだなあと改めて思った。 お父さんには、改めてほめられたいと感じる必要がなかった。もう満たされていたから。 お母さんには、ほめられたかった。なにかまだはっきりはわかってないけど、自分で「〜ができない」「〜は手に入らない」と否定してるものがあるからだろうなあ。 なんだろなー。 あと、きづいたこと。 仮に買ったもの。 これに、もったいないおばけがとりつきやすかったなあと。 あと、買った時は大好きだったけど、惰性で使っている感じになりやすいものの場合。 わたしの場合はそれは服。 わたしの大好きな読書(本)の場合。 いくら過去に楽しんだ思い出があったとしても、今おもしろいか?と見つめることがしやすい。 だから、1回しか読んでなくても即いらない、って手放し本コーナーに置いちゃうし、全く読んでなくてもやっぱり読まなくていいやと捨てたりするし、もっかい読みたいと思う本は新たな楽しみになり、本当に読む。(読みたいとまた感じるならば、何度でも) 本の場合、なんで「今」を見つめるのかしらと思ってみたら、「多い」からだと思う。 どんどん読みたいと感じる本を楽しみたいから。手放していかないと、どんどんたまるのが自覚しやすい。 服の場合、このテイストが好きって時にどかんと買うので、いつも買うって感じではなくて、だから見つめようとしないと見つめない。 なんかなじみやすい感覚もある。本にそれはないのだけど。 なんだろな、これ。 父との関係、母との関係にもどこか似てるかも。 本が父、服が母。 さて。 自分で書いたのを読み返してみたら、気づいたw (早いなー) お母さんには、ほめられたかった。なにかまだはっきりはわかってないけど、自分で「〜ができない」「〜は手に入らない」と否定してるものがあるからだろうなあ。 なんだろなー。 ってとこ。 服と母とのわたしにとっての共通の思い込み。 「欲しいときに欲しいものがなかなか手に入らない」 これだ。。。 ちびっこだからサイズとかね、色とかね、デザインとかね。。。 必要な時にいつでも手に入るということを信頼してない感じ、これだ。。。 感じておこう。 そっか。 「欲しい時」が「必要な時」ってわけじゃないんだよ。 これまでも、必要な時には手に入っていたとしたら…。 ふふふ。 ...
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