つらつら - 2010年11月19日(金) 感覚が先に来る時がある。 先日、 「なんでこうしてるの?これじゃあ手に入らないのわかってるよね?わかってるのにどうしてこの状態にしてるの?あほじゃん?」 って、何に対してとかではなくて、突然ふと思ったのだけど。 これ、後からこの感覚を振り返る時に、どこの感覚かがわからなかった。 どこの感覚というか、同じように感じようとしても違ったものになってしまう感じ。 感覚だけしかわからない、どうやってその感覚にいくのかってのがわからない、みたいな感じ。 その場所はわかるけど、そこへの道筋が分からない感じ。 今日、その道筋が分かった。やっぱり突然に。 自分の好きなものについて見てた。それが嫌いなものにもなることを見てた。 二元的な見方からでないとしたら、それってどういうものなんだろう、と見てた。 好きなものの時と嫌いなものの時を書いてみたら、それが願望実現システムそのままだということに気づいた。 行動する決意と、持つ(所有する)決意。 行動する決意が過剰になると嫌い、みたい。なぜって苦労してなおかつ願望が手に入らないから。過剰になったものがじゃまして、行けない。わたしはやったぞ!って感触はあるけどね。 「なんでこうしてるの?」って感覚への行き方がわからなかったのは、この「行動する決意」目線で見てたから。 そうじゃなかった。 持つ(所有する)決意で向かう場所だった、と気がついた。 気がついて、自分の感覚と、今までの自分に起きたこととを照合してみて唖然。 持つ決意目線の時は、進もうとしなくても、そっちを見るくらいでこれまで手に入っていたことを知った。 逆に、進もうとした途端、過剰になっててそれがじゃまして実現しなかった、その感覚もわかった。 まだ自分の言葉でいうにはこんな感じでしか表現できない。 無性に感動してる、まだ言葉に仕方がわからないこの感覚をそのうち伝えられたらいいなと思う。 追記 「広く世界に受け入れられている常識とは、本当は地に足のついたものではない」 今日読んだ本に書いてあったこの言葉、すごくよくわかる。 自分が所有するってことを決めずに、目標に向かって行動することだけ決めても、そりゃ地に足ついてるとはいえない。 きづいたこと。 わたし、お金に会うためにお金を払ってるなあw 今までもそうだ。 自分の中のお金エネルギー(=安心)に会うために、いろいろしてたんだ。 ...
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