日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2009年08月14日(金)

学生の頃、わたしは驚くのが先に来て、咄嗟に助けることが出来なかったということがあります。

先日あるサイトにて、自分の危険を顧みず人を助けた方についての記事を読んで、その時の状況、自分の感情の流れが一気に浮き上がってきました。そしてそれは解放につながりました。
解放されて気づきましたが、わたしはすっかり閉じ込めていたのでした。
(その記事を読むまで、自分にそういうことがあったことすら忘れてました)

その頃のわたしは、自分の咄嗟の行動を嘆いていました。
でもそれが元となって、自分に対して「行動することができる」という許可も与えなくなりました。理想と自分とのギャップから、行動できないものと思い込ませていました。
そのことを、長いこと時間がかかって、先日やっと気づくことが出来ました。

で。
今日、とある本を読んでいたらこんなことが書かれていました。

「第二次世界大戦中も、自分の安全性は一切意識しないで行動する人たちがいました。つまり、サバイバルモードに入っていないので、彼らは死なないのです。彼らは反射しているのではなくて、反応を返しています。生死の問題を越えたところで行動する人たちが、ヒーローと呼ばれます。」

わたしは自分の「反射」に対して、嘆いていたのだなあと気づきました。

実は昨日も、反射的に行動したことがありました。
「あれ?わたしがそれをするという方法もあるのに、なんでそうしようという考えと繋がらない行動をしているんだ?」とふと我に返ったことがありました。

反射と反応は違うということ。
反射した自分と、反応する自分。

咄嗟に助けることができなかった学生の頃も、昨日の自分も、その反射の自分から自分を取り戻し、その後にした行動は、好きなものです。
それを含めて大きく眺めると、反射することでわたしは考える時間を稼いでいるだけだということに気づきました。
どう行動すればいいか、どう行動したいか、整理するための時間稼ぎをしてた、それだけのこと。

それをわたしは嘆いて、自分に許可を出すことをやめて、…はあ、そうでしたか。

お盆だからご先祖さまからのサポートを身近に感ずるのか、とても癒されました。
ありがとうございます。


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