日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2009年07月02日(木)

今日、部分的に縮毛強制パーマをかけてきましたー。

ここ数年ずっと、「直そうとするんではなくて、ありのままの自分を楽しもう!」というコンセプトで、自分のくせっ毛を楽しむ〜と仲良くしていたので、カラーもパーマもせずにカットのみコースでした。くせを生かせる、みたいな感じの。
それだからか、久々のパーマにとてもウキウキしてた自分がいます。(美容院に行ってから決めた)

ちなみに「直そうとするんではなくて、ありのままの自分を楽しもう!」というコンセプトは変わっていないのですが、楽しいと感ずるものを楽しむってのもありのままのわたしなので、自分のくせ毛を否定してパーマ、ではなくて、まっすぐサラサラの髪もしたいから、という感覚です。がまんしなーい。

最近の縮毛強制さんはわたしの知っている頃(出始め…何年前?)と違って、とっても自然。ちゃきーん!とした感じがなくて、でもまっすぐで、サラサラです。
うつむいた時に髪がサラ〜っと頬を撫ぜるのが、何だかドキドキしちゃいます。そんなんがうれしい。

サラサラの髪…わたしが男子だったらこれはかなり女の子のポイントが高いという、そんな感覚がなぜかあります。
多分「かわいい♪」と感じるポイントがサラサラ髪なのかもしれません。

サラサラの髪の小さい子や女の子の頭を触れる機会があると、「うわ〜♪かわいい〜…」となんかとても癒される…ということを、自分がパーマかけることで本日自覚しました。
髪フェチだったのか…。


「こんなことがあったんですよ〜、どうですか?わたしどこか悪いですか?」と人間関係のことで相談されて、とうとうとどういう風に受け止めると楽ちんかということを語ってしまいました。
知り合いなので、状況がイメージできたりどういう人かがわかっていたりしても、なかなか自分がこれまで受け取っている分を伝えるには至っていない(多分に実践途上中)、でも以前よりは伝えたいことが表現できてたりして、そんな自分を見ることができて、とてもよい機会をいただきました。

なんかツボにハマったらしきアドバイスは、「自分のがまんに気づくヒントにする」ということっぽかったです。

わたしの場合のたとえ話をしてみました。

親に小さい頃「そんなに短気だったら嫌われるよ」と言われて、「嫌われるから怒っちゃダメ」と思ったこと。怒ることを我慢していたので、怒りを周りに爆発させているような人を見ると、「何、こいつ!」と怒りが出ていたこと。
要は「うらやましい」。「わたしはがまんしてるのにっ!」という感情。

「怒ってはいけない」ではなくて、別に怒ってもいいんだよと。
周りにぶつけたいと感じない、それは好きか嫌いだったら嫌いだなーと思うのであれば、怒りの表現の仕方をそうでないものにすればいいんだよと。抑えて見えなくさせるべきネガティブなものではなくて、ただのエネルギーだよと。

そうやって軽くしていけるようなことを気づかせてくれる方がいたら、それはチャーンス!
怒っていることも悲しいことも、そういう体験を大きい視点から見つめて楽しもう!

と伝えたら、少し思い当たることがあったみたいで、よかったよかった。


そういえば、エコとかスピとか、そういう「良いと見られやすいもの」に対しても、わたしはそういう感覚で接しています。
「そうでなくてはならない」という固まったものをほぐほぐしたいわけですよ。


そんなこんなして、自分のしたいヒーリングに対しても益々はっきりしてきました。
ボディ、マインド、スピリット。全ては繋がっているわけだけど、どこを入り口にしたいのかっていうと、わたしはマインドなんだな、って思いました。
頭を考えるためにではなくて、意図するために使って癒す。

せっかく人間として生まれてきて体験しているわけだからそれを充分使おう、とした時、わたしの場合はそれはマインドみたいだなーって思ったのでした。
わたしにとっては、ボディとスピリットを繋げるってことが人として生まれて体験したいことのような気がします。

ボディはチャクラで言えば、1〜4辺りの身体の下の方にあるチャクラかな。
スピリットだと、4〜7辺り?
そうするとマインドは真ん中辺?

柑橘系好きだってことにもそれが繋がっているような気がするなあ。気のせいかしらん?


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