日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2009年02月22日(日)

「ラブシャッフル」での吉高ちゃんと松田くんのシーンがかわいくて好きです。
いいな〜、かわいいな〜。と思っていたら、「こんなに居心地良く油断してたらきっと、野島さんドラマだからこの先の展開で…!」みたいな一種の恐れが出てきました。

あほやー。まだ起きてもないこと恐れんなー。

ということで今は、このかわいくて居心地がいい感覚を充分味わおうと思います。



松田くんのスピーチだけみたかったなあと、日本アカデミー賞。
どなたか載せてるブログはないかと探して、どんなことを言ったのかを文章で読みました。

うんうん。素敵ですね。
向上心があって今の自分の感情のひとつひとつを正直に見つめて伝えることができる。

かっこいい大人に育てられましたなあと感じました。両親だけでなく、どんな大人たちを見て来たのかなあ。自分が見て、感じて、育つものね。
わたしもそういうかっちょいい大人になるぞう。


で。
わたしはどんな大人たちを見て育ってきたかなあと思い出してみたりしました。
そうしたら、気づきました。
最近の母に、わたしが幼い頃に見ていた母を見るようになっているなあと。
母にヒーリングをしても、なんかずっとわたしは「どういう風に効いているのかなあ」と思っている感じがありました。母が必要として得ているものは何なのかしら…と思っていました。
(本人が必要としているものを得るので)

施術中の表情を見ていると母は泣きそうになっていることが多いので、わたしは「…効いているようだけど?何に?」みたいな感じ。
例えばヒーリングをした後に身体の症状が和らいだりしてても、どうもわたしは疑っているというか「治療もしているからかもね?」みたいなところがあったのでした。

幼い頃に見ていた母、その頃の母はアファメーションを使っていました。今思えばですが。
近頃までずっとわたしは母に対して、物事の良くない部分にクローズアップしがちなイメージを強く持つようになっていましたが、「そういえば最近の母にはこういう部分が出てきてる!」「そしてこれ、今新しくそうしているんじゃなくて、昔のわたしが知ってる!」みたいな発見をすることができました。
(松田くんからこう繋がるってすごいもんだ)

昔の母は、ある時は自画自賛、ある時は「…まあ、言い方を変えればそうも言えるけども」と幼いわたしが呆れるくらいのポジティブな言霊を使っていました。
思い出したー。そうだったー。という、うれしい発見。

そして、それが最近の母に見られてきています。

うーん。そしてここまでの思考の流れを整理してみて…。
わたしも少しはかっちょいい大人になれているのかなあ…とほんのり期待してみました。



頭では当たり前のことなんだけど、気持ちの部分では逆のことを信じていたなあ…これ、と今日気づきました。隠れ葛藤を発見。

「あなたに訪れる豊かさや貧困や病気、健康は、あなたがしたことに対する報酬や罰として、他人によってもたらされるものではない。あなたのスキル、機敏さ、価値を試すために、人生の経験が割り当てられるのでもない。あなたの行動によって、祝福したり、祝福するのを控えたりする、見えない知性など存在しない。」
「物質的存在はいくつかの非常に大きな誤解の下で機能している。一つは、行動することを通じて、得るべきものを得ているという誤解。」
(「引き寄せの法則の本質」より抜粋)

少しずつ理解していくのだなあとしみじみ実感しました。
今を味わって、引き寄せるぞう。


...




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