日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2008年12月11日(木)

はっ! 気づいたら木曜日!

京都でのセラピスト講座が終わって、ふうと一息ついている間に数日経過しました。

なかなかハードな日々でした。
人員不足だった中で仕事に追われ(おまちかねの増員・・・感涙)、時間のない中で、どうにかこうにか自分で納得できない程度にはなるけれど課題を行い、「きゃー!もう1週間経っちゃったー!練習しないとー!」と追い立てられながらの日々が先日の日曜で終わり・・・、ふうと一息ついていたら木曜日になっていました。
京都から帰ってきてから、まだ何も復習していません。ひたすら休んで(眠って)いました。今回の講座はエネルギーが重かったので(ちょうど、今年の11月のエネルギーの重い時期にも重なって)、とりあえずその拘束から離れた開放感を味わいました。

そろそろやろかな。練習と復習。

今回の講座を受けて、レイキヒーリングの素敵さ加減を再確認しました。
レイキの質をもっと高めたいなと思いました。

エネルギーワーク的・スピリチュアル的ヒプノを取得してきたわけですが、技術を取得してきたというよりも、自分の内側をもっと広げたい、と確認をしに行ったように思います。技術とは違ったもの、わたしにとってはそれよりも価値のあるものもたくさん得て帰ってきたような気がします。

自分の内側がもっと広がったら、もっと自由に、もっとわたしの求めるセッションができるということも、よーくわかりました。

先生はもちろんのこと、この講座で関わった方々に「すごーい!」とたくさん感じることができて、とてもわくわくと終えることが出来ました。

仕事として行う自信をつけるために、練習するぞー。


自分がもう1人いたら、ただで受けられるんだけどなあと思ってしまいます。
練習もしたいけど、わたしも受けたいー。

わたしにとっておもしろく感じることのひとつは、「意識してそういう物語がつむがれるのではない」というところです。
例えば、「母親との関係性」ということをテーマにしてクライアント役で受けた時に、わたしはこんな物語が出てきました。
今まで肉体を使って仕事をしていたけれど、何かで左足がなくなって、「自分は役に立たない」と思い込むことになった男性(30〜40代くらい)が出てきました。奥さんがお金を稼ぐために外に出たり、自分の世話、家のこと、と忙しくしていて、今までのように話す時間が取れなくなったことに対して、ほっとしていたりとか、子供の顔がまっすぐ見れない、扱い方がわからなくなっていて怖い、そういう、自分で壁を作っている感じの物語でした。
それをセッションにて癒してもらったわけですが。
セッションが終わって、左脳を使ってみて、「えーと、テーマとどういう関係があったのかな?」と意識してみると、なるほど、うちの母親は自分を「役に立たない」と思い込んでいるなと。「自分の出来ることをすればいいだけだよ」とわたしが何度言っても伝わらないということは多くて、セッションを受けて、・・・なるほど、母と同じことをセッションで出てきた物語のわたしはしてたなあ、みたいな。
左脳からはこんな風な感じで関連付ける物語は作りださないなあというか、出てきた物語に頭じゃないところで納得するのも楽しいです。

そういうわけで楽しいから(しんどくもあるけど)、わたしも受けたい・・・。
県内の人で誰か習いに行かないかなあと思いを馳せている次第です。 (^^;)


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