日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2008年07月30日(水)

ふと気づいてみました。
瞑想だのヒーリングだのたくさん本を読んだり実践したりだののことは、わたしは自分のしんどさ開放のために行っています。
(感受性が高い+損得を考えたりとかに興味がないので、方法を知る必要があった)
自分のためにやっています。

なのですが、実践してわかってきて自分が楽になってきて、となるごとに、自分のすることが増えています。何気に「自分のために」が目的だったのだけれど、それは人に還元することになっています。

初めはそれは自分が求めるところで、自分も理解できるし人と共有できるうれしさでした。でもいつの間にか、自分が求める求めない関係なしに誰かに還元することになっているような気がします。

目に止まるところが増えるというのもありますし、友達の相談に乗っていたらその友達の友達の件も「どうしたらいい?」と出てきたり。
ヒーリングしたり伝えたりをしてその時はその人が楽になってたとしても、またすぐに戻ってしまって同じことを繰り返している様子を見て考えさせられたり。

わたしもなかなか頑固なので、他人から見たら同じような感じなのだろうなと頭では思いつつ、

うおー、自分でやってクレー。
何度同じことを言えばわかってくれるんだー。

と感情部分では叫びたい自分がいて。

それをきちんと感じて…。
今の自分ができること、できないことは何かを理解して…。

そうしていると、「わたしにまだよくわからないから自分でやって欲しい」と感じていることがわかってきます。
どうすればいいかわかっていたら、それを伝えられることが「おもしろい」と思うようなところがわたしにはあります、そういえば。

きちんと感じることで、自分のわからない部分が理解できました。
わかりたいと思いました。

ということで、友人が「自分でできるように」そういう伝え方を理解しようと思います。
自分でやってもらえばいいのだ。
(わたしはお世話したがる方ではないので、人のことをするのは基本的に面倒である)

たくさんの生徒さんを持って、「技術の伝道者」というだけでなくフォローアップも対応しているという先生に今夏教わりに行く予定なのですが、その辺の基本のところ、「言葉で教えられることではないこと」や「師匠の技術は見て盗む」的なことも取得してきたいなと思います。


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