夏休みに入ってから、コンテンツを一気に増やしましたが、これだけのコンテンツを今後も継続できるのかどうかなんてあまり考えていません。
昨日も友人と話していましたが、やはりやりたいと思ったことをどんどんやっていく事が大事なのです。やってみて性に合わなければ止めればいいし、性に合えば努力しなくても続くものなのです。これってすごく単純なことなのですが、実践するのはとても難しいのです。なぜ、こんな単純なことが難しいのか?個人的にも具体的にこうしたからこうなったというのは良くわかりません。
敢えて挙げてみるなら、二つの事がきっかけでした。一つは、自分自身の本当の欲に気付くということです。もう一つは、この今の瞬間はもう戻ってこないということですね。
人それぞれ価値観が違うので、これが正しいというのは無いのですが、確実にあるのはその人にとって何が人生で一番大事なことか?ということに気付くことではないでしょうか?お金の人もいるでしょうし、異性の人もいるでしょうし、勉強という人もいるでしょうし、仕事という人もいるでしょうし、名誉という人もいるでしょうし、自然という人もいるでしょうし、それは千差万別です。そうした自分が本来持っている欲を追求できれば、いい人生しかないはずなのです。ただ、それを見つけるためには色々なことにチャレンジしていく必要があるでしょう。チャレンジしていく過程で、「お?これは違うな。」と感じるときは変えればいいのです。
変えずに「初志貫徹」なんて意固地になっていると、今という時間がどんどん耐える時間になっていってしまいます。耐えることから学ぶことも確かに多いでしょうけれど、一体何を学ぶのでしょうね。私の場合、耐えることを学んだおかげで、人生の楽しみが少し減ったと感じました。やりたい事をやるために耐えているのであれば、確かに意味はありますが、耐えた先のやりたかったことが思っていたものと違ったら、耐えた時間は無駄な時間になります。やっぱり、できる限り耐えるなんてストイックな受身な姿勢は回避していくべきだと思うのです。
中には、耐えるのを楽しんでおられる方もいるでしょう。それは、あきらかに私の言っている「耐える」とは違う質のものなのです。それを楽しんでいる時点で、その人にとってやりたい事をやっているわけですからね。そういう人もいるでしょう。目的よりも過程に重きを置くならば。
決して、様々な価値観を否定するわけではありません。私の浅い人生経験と、浅い思考を基準すると、根本的に人間はしたいことをするために生まれてきたとしか思えないのです。そう考えれば、こんな楽しい人生はないわけです。楽しめるか、苦しむかは、それに対する意識というよりも、行動で決まるのです。やりたい事をして、やりたくない事は避ければいい。人生を楽しむ方法なんて、しごく単純な事なのだと私は考えます。
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