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責任のようなもの - 2003年08月06日(水)

今日は広島の原爆忌なので、新聞を切るのが怖かった。
大人になったから、文章は多少読めるのだけれど、写真は見ることができない。

小学生だったころ資料館の見学で凄惨な様子を伝える写真を見て、余りのショックに一歩も
外にも出られなくなったり、プールや体育館に入れなくなったり(水の中で沢山の方がなくなった
とか、広島県の学校だったので体育館の下には被害者の遺体が埋まっているとか色々あった
のだ)して、それ以来、現在に至ってもどうしてもその手の写真を見ることができない。

そもそも人が傷ついているところを見るだけの強さが、私には備わっていないみたいで、普段の
調子いい気楽な暮らしぶりからは自分でも想像できないくらいに怪我・殺傷・殺戮のシーンに
対する耐性が無い。

ちょっと前に、いつものように新聞を切っていたら、毎日新聞がフセイン氏の子息たちの鮮明な
死に顔の写真を掲載していて、それを見てからしばらくは仕事にならなかったほどだ。
もちろん夜は繰り返し思い出しては恐ろしくなり、やたら寝つけなかった。

今日は日が日だけに、かなりヘビーな写真掲載も有り得ると思って目の焦点が合わないよう
細心の注意を払いながら新聞を切ったわけだけど、あまりハッキリとした写真を掲載している
ものはなく(1個だけ手当てをしているところの小さな写真はあったけど、生々しい感はなくて
大丈夫だった)、何とか切り抜けられた。


そんなわけで、8月になると毎年、写真を見ることができないなりにも戦争がいかに馬鹿げて
いてむごいものかを考える、という責任のようなものを果たしたい気持ちになり、そのためにせめ
て何か関係がある書物にあたることにしているのだ。

今年は『光さす故郷へ』という満州から引き上げてきた際のことを綴った本を読んだのだけれど、
それだけでも日常生活をふつうに送れなくなるくらい、重く暗く歯がゆい気持ちになった。


いつかちゃんと何もかもを見る強さを持ちたいとは思うけれど、今はまだ無理みたい。
一生見れないまま過ごすのかも知れないけど、それならば一生どの国にももう悪いことが起き
ないように、みんなが平和に暮らせるように何かしなければ、と心から思う。

本当は、ひどい目に遭わされたのは自分であったかも知れなくて、そうしたら見たくないだの見れ
ないだの言っていられないわけで、そんな甘えたこと言うのは失礼だってわかってるけど、今はとり
あえずこれが精一杯。


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