思考過多の記録
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2016年08月12日(金) パンとサーカスの政治〜リオオリンピックの報道に思う〜

リオデジャネイロオリンピックが開幕し、連日熱戦が繰り広げられている。1人ひとりの選手にドラマがある。それは、メダルを取った選手もそうでない選手も同じだ。
それにしても、テレビが全てオリンピックで席巻されているのはどんなものだろう。オリンピックの度にこうなっているが、今回は特に甚だしい。日本選手のメダルラッシュが続いていることもあるが、ちょっと度を超していると個人的には思う。しかも、日本のマスメディアだから仕方がないが、日本選手の話が多すぎるとも思う。日本中がオリンピックに熱狂し、選手を熱烈に応援しているという空気を醸し出している。オリンピックに関心がないことが罪であるかのようだ。



選手は頑張ってきたと思うし、ベストを尽くしていると思う。それを報道するのは別に悪いことではないし、見ている人が感情移入するのも分かる。しかし、普通のニュースの時間までこの話題で埋め尽くされるのはどうだろうか。もっと報道すべきことがあるのではないかと思う。
どうもこのオリンピック一色の報道は、先の参院選で選挙関係の報道が少なかったことと繋がっているのではないかと思われてしまう。マスコミは、議論が起こり、賛否が分かれることを報道することに及び腰になっているようだ。これは明らかに安部政権の圧力なのであるが、そのこと自体を問題にする姿勢すら見せていない。
オリンピックに関しては、取り敢えず賛否が分かれることはない。僕のような余程の天の邪鬼でない限り、日本選手に声援を送る。つまり、大体数の国民が同じ方向を向くのだ。それを後押しするだけなのだから、こんなに楽なことはない。



オリンピックの裏で、何かが着々と準備されているかも知れない。今僕達はオリンピックに目を塞がれ、心もそちらに持って行かれている。そのすきに、進められることは進めておく。明るみに出た時にはもう後戻りできなくなっている。杞憂かも知れないが、そういうことをやりかねない、またやろうという誘惑に駆られるのが権力者の常である。
「パンとサーカスの政治」という言葉がある。大衆にはこの2つをあてがっておけばよいというものだ。そして、しばしばこれは奏功する。パンに関しては危うい人も多くなりつつあるが、サーカスには熱狂する日本人は多い。スポーツの華やかさで目を眩まされ、「ニッポン、ニッポン!」の叫び声で陶酔することで日常を忘れさせられる。



「サーカス」=オリンピック=スポーツにはそういう「毒」もあるのだということに、僕達はもっと自覚的にならなくてはいけないだろう。
どの局も横並びでオリンピックしかやっていないテレビを見て、僕は絶望的な気持ちになる。


hajime |MAILHomePage

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