思考過多の記録
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2016年01月19日(火) ゲスでもいいから

 ゲスの極み乙女。の川谷絵音とタレントのベッキーとの「不倫」騒動は、まだ尾を引いているようである。SMAPの「解散」騒動に埋もれて、何となく収束したようにも見えるが、ネットではくすぶり続けているようだ。
 世間では、不倫はよくないということになっている。それで、川谷氏が文字通り「ゲス」ということで批判されている。僕は詳しいことは知らないが、漏れ聞くところによれば、川谷氏の妻は、まだ売れていない時代から献身的に川谷氏を支えてきて、まだ入籍後半年程しか経っていない。交際期間は長かったようだが、新婚であることに変わりはない。それなのに、別の女と、しかも離婚を前提に交際していたようにも見える。確かに、バッシングの対象になっても仕方がないだろう。



 しかし、わざわざ両親に会わせているところをみると、遊びというより、結構本気に近かったのかも知れないと思う。少なくとも、ベッキーは本気だっただろう。しかも、どうやら2人の関係はまだ水面下で続いているらしく、川谷は妻に「卒論」(この言い方は秀逸だと個人的には思う)の提出を迫っているとか。
 この騒動の影響で、ベッキーはCMを差し替えられ、多額の違約金という「制裁」が課せられた。ほとぼりが冷めるまでは、完全に干されるだろう。一方、ゲスの極み乙女。のニューアルバムは、不倫騒動の宣伝効果か、セールスが好調だという。勿論、彼もバンドもこのままで済まされるかどうかは分からない。



 しかし、いずれにせよ、人の心は変わるものである。結婚式で永遠の愛を誓った夫婦が、もし全員本当に永遠の愛を貫けるのだとしたら、離婚は0件の筈である。交際し始めたカップルの心変わりがもしないとしたら、世の人々は、全員が初めて付き合った人と結婚し、最後まで添い遂げることになる。しかし、実際はまったくそうではないのは周知の事実だ。
 結婚しているからといって、魅力的な異性に心を奪われたことがない人間がどれだけいるだろうか。ちょっとした「火遊び」の誘惑にかられたことのある人間は大勢いる筈で、そのうちの一定の割合の人間は、実際に「火遊び」をしているだろう。遊びが遊びで済まなくなって泥沼に足を取られたり、実際に家庭を壊してしまったりする人間も数知れない。「不倫はよくない」というのは道徳的・倫理的には正しいだろうが、残念ながら人間は倫理を逸脱する動物でもある。
 以前にも書いたが、まったく心が通い合っていない夫婦と、本当に愛し合っている「不倫」のカップルでは、一体どちらが「愛」に対して誠実だと言えるだろうか。僕は、そちらを基準に考える。



 中島みゆきに「たとえ世界が空から落ちても」という曲がある。
 歌詞はこうだ。



   やさしい男(ひと)は だれだって好き
   札付きだろうと 殺し屋だろうと
   やさしいことを 言ってくれるなら
   たとえ世界が空から落ちても
   あたしは あの人をかばう
   やさしくしてくれるなら

   嘘つきだろうと 落ちぶれだろうと
   やさしいことをくれる人ならば
   たとえ世界が空から落ちても
   あたしは あの人をかばう
   やさしくしてくれるなら



 僕も同じ気持ちだ。
 ゲスでもいい。遊びでもいい(僕で遊ぼうというのは、随分と奇特な人であるが)。嘘でも、気まぐれでもいい。快楽の道具でもいい。勿論、不倫でもいい。
 とにかく、僕を好きになってくれれば、それでいいのである。相手がどんな職業、社会的地位であっても構わない。とにかく、一瞬でも僕のことを好きだと思ってくれれば、かりそめの愛でもいいからくれれば、それだけでいい。
 とっくに堅気の世界からはじき出された男である。(世間で言う)「まともな」愛が手に入るとは思っていない。
 僕が欲しいのは、表面的でもいいから、好きでいてくれる女性(ひと)。



 ゲスであっても、僕は一向に構わない。


hajime |MAILHomePage

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