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僕の生きる道・第9話。
生徒に伝えたいことを歌に託す教師。次第に集まり始める生徒たち。父兄の反対。 昏倒する教師。彼の余命を知って動揺する生徒たち。病室へ届ける合唱。 あまのじゃくな私の中の悪魔が、「けっ!」と吐き捨てるような展開だった。いつもなら。 でも、結局最後まで、「けっ!」は聞こえなかった。アクマくんでさえも、きっと一緒に泣いていたに違いない。
同僚への幸せな結婚報告の直後に来るのが病気の告白だったり、 お義父さんの前でラブラブぶりを披露していたのに、 「みどり先生は、きっといつか再婚する日が来る」と思うから実家には住まない方がいいのだと告げたり、 「普通の新婚さんとは、やっぱりちょっと違いますね」が、分かっていても胸を衝かれる思いで。 でも、理事長が「秀雄くん」と呼んでくれたのが、とても嬉しかった。 生徒たちの「みどり先生だったら、もっといい人と結婚できたのにね」「いいじゃん、ナカムラ」が、 どちらも素直な意見なのも嬉しかった。合唱の話をする秀雄先生の話を顔をあげて聴いてくれているのも。 ドラマを見て泣くことは沢山あるけれど、こういう風に素直に嬉しく感じることって、 実は案外少ないのかもしれない。
上手く笑おうと思っても強張ってしまう、遺影のための写真撮影。 「僕は素敵に写りたい。人生最後の写真だから」って、あぁ、そうだよね、きっと私もそう思うんだろうな。 でも、言葉にするとすごく切実で、すごく美しいエゴが感じられて、凄い脚本だと思った。 そんな中に、「ママって呼んでんの?」「うるせぇ」なんて、妙にリアルな台詞が紛れ込んでいたりして、 やっぱりこの脚本はタダモノじゃない。
床に崩れ落ちた頬の薄さに胸がズキリと痛くなって、 金色の光の中で『野ばら』の歌声に包まれて眠っている秀雄先生を見ていたら、 本当にこのまま目を覚まさなかったらどうしようかと、泣きたくなってしまった。というより、泣きっぱなしだった。 目が開いた時は本当にほっとして、だから、みどり先生が「写真が欲しいです」と言った気持ちがものすごく良く分かった。 彼女に微笑んだ秀雄先生の顔が、どうしてそんな顔が出来るのかと思うほど美しくて、もっと泣いた。 でも、みどり先生は本当に強い。歌い終わった生徒たちに、窓越しに一礼する姿がとても強くて。 「ここは病院です」と状況を説明する言葉もとても確かで、 目覚めた時にこんな風に手を握ってくれる人がいたら、どんなに心が安らぐだろう。 そして、秀雄先生のように、死に向って緩やかに準備を始めることができる人がどれだけ居るのだろう。
ビデオ日記をつけていた訳が生きてることを確認するためだった、という台詞には、 私が今こうして日記を書いているのも同じ理由なのだろうか、という思いがふと頭をよぎったり。 いや、それは違う。違うと思うけれど、完全に否定もできない、ような気もする。
…と、いろいろ考え始めてしまうと眠れないので、ゆうべは寝る間際にシン&ツヨをリピートしました。 やっぱり、かわいー。やいのやいの。 それでも、今日は、写真におさまる秀雄先生の笑顔を思い出すたびに涙ぐんでしまう一日でした。おちまい。
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