にのらの日記

2007年10月13日(土) その優しいアンコ色の微笑みを絶やさないで・・・

摂津国尼崎藩4万石・にのらです。


江戸三百藩HTML便覧


ここの表にある江戸城詰の間が大廊下か大広間であると偉い藩です。

1 大廊下(譜代大名)
2 大広間←上杉・毛利・前田・島津はココ(伊達は大廊下寄り)
3 溜間
4 帝鑑間←尼崎藩はココ・真田家もココ
5 柳間←織田家はココに
6 雁間
7 菊間

上杉家よりも伊達家の方がちょっぴり上座な所にドラマを
感じつつ、表を見ながらよく出来てるなあと感心した次第です。
譜代の側に外様を置きながら監視しつつ、江戸城において
大名達の力の縮図をまざまざと見せつけながら、席順を
細かく分けることで要注意外様をある時は立て、あるときは
牽制する、徳川家康は人事の達人らしいけど、確かにここまで
やってのけるのはスゴイですね。







北海道のとうきびチョコ・・・
宮城の萩の月
岩手のかもめのたまご
東京の舟和の芋ようかん(東京ばなななんか目では無いのだ馬鹿め!)
長野の雷鳥の里・・・
岐阜のすやのくりきんとん・・
宮崎のナンジャコリャ大福・・・

世の中には、こと上記の土地においては、にのらが心を熱くする
数多のお土産がひしめいている。ちなみに、太閤時代より長く
「天下の台所」と言われてきた大阪は、その名に恥じず
日本中から美味しいものが集まり大層豊かでありました。
そのせいで皮肉にも自分の所で名産品を考案する必要が無く、
舌だけは肥えている為に味の競争率は高いものの気づけばおこしと
たこ焼きくらいしか名物が無い、お土産事情的には貧しい境遇に
あります。にのらの住まう兵庫県も、似たような理由で名産が無い。
炭酸せんべいくらいでしょうか。それは強い大名に恵まれなった
藩である事にも比例しているのかもしれません。

そんな中、大阪ぜー六のアイスモナカは美味しいです。
ぜえろくって、江戸っ子が上方の人間を呼ぶときに使った蔑称
らしいですね。これは新鮮な発見です。

にのらは生きてきてこのかた、江戸時代から東京に住まっている
真の江戸っ子には一人しか出会ったことがありません。
火消しの子孫で話し方もチャキチャキとして、でも都会的で
上品ないかにも江戸っ子でお嬢様なご婦人です。
その人のおかげで江戸っ子にちょっとした憧れがあります。

話は戻って、ぜえろくはまさしくヤングな江戸っ子発音。
蔑称でも良い。江戸っ子と会ってみたいな・・・べらんめえとか
・・萌える・・。こないだ東京人と大阪人を比較して、大阪人は
せっかちだとまとめられていたのですが、比べるなら江戸っ子と
比べて欲しいと思います。真の江戸っ子はせっかちでなくてはならぬ。
江戸っ子はきっと車両の中でも走って目的駅に一番近い場所から
降りてくれるとにのらは信じている。東京人の定義がわからんわ。
5代はさかのぼって住んでから名乗りをあげるがいい。

と、5代さかのぼっても大阪に住んだ事などない上に本籍が
よりにもよって東軍のメッカ愛知県であるにのらは熱く熱く
語るのであった。最近気付いたあの日から大阪が遠のいて
いくのがわかる。近江の国出身にしてくれせめて。

まあ江戸っ子礼賛は置いといて、
最近、自分の住んでいた辺りが全然萌えない大名に支配されていた
ことに一抹の寂しさを覚え、心の支えを大阪城に移した事でにわかに
大阪に覚えの無いノスタルジックなナショナリズムを感じ、彼らに
ついて知識を深めようとウロウロしていたら、司馬遼太郎がそれに
ついて大変興味深い考察をしておりまして、

まあ、端折りますが、

大阪兵が日本におけるイタリア兵のようであったと書かれてました。
藩の殿様が強いと、軍隊も強くなるらしく、土地を守る気概も
高まるらしいのですが、大阪は町人の代表が選出されて偉い人を
決める土地柄で、プロの侍の人口が圧倒的に少なかったために
軍隊組織も自由奔放であったにも関わらず、なぜか戦争の際に
前線に立たされる事が多く、残念ながらあまりお役に立てなかった
、というエピソードをまったく踏まえず、


赤福。

もう、お腹壊さないようにこっちが頑張るから、通常営業して
欲しい・・・!三重で食べた赤福のカキ氷、一体美味しいのか
分からなかったけど、赤福であるというそれだけで勇気が出た。
300年の伝統・・300年、にのらは疑わなかった赤福の賞味期限。
それは等しく、全然気にしてなかったともいえる。

新大阪で一番売れている赤福。
三重まで行かなくても近鉄難波で普通に売っているなあと思って
いたら、梅田の阪神でも普通に売っている赤福。

急に食べたくなってきた。


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