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 生活綴り  咲紀




2003年02月10日(月)  愛されたいと願う愚かな子

今日は夕方からちょっくら忙しくなる予定なんで
朝のうちに家のことをパタパタとしておりました。

そのついでって言っては言葉が悪いですが、
この日記の初日を書いてみました。

1999年7月1日付けの日記です

もしよかったら覗いてやってください。

一応、2003年1月14日から書き始めたんだけど
過去日記をいろいろupしていっているうちにいつが
スタートか自分でも微妙に分からなくなってきちゃったんで。


さて、今日はイロコイ話から久々に
かけ離れます。


気持ちいい話じゃないんで
不快に感じられる方がいらっしゃると思います。
初めに謝ります。ごめんなさい。




「愛される」ってどういうことでしょうか?

この疑問に対して、「これだ!」っていう答えは出ないと
私は思っています。

でも、こういう疑問は私の中に突然浮かび、
そしてしばらくの間、消えないときがあります。

今、ちょうどこういう時期みたいです。


私の家族は両親、3つ年下の弟、そして私の4人家族。
4月から弟は遠方の大学に進学した為、一人で暮らしており、
私と両親と3人で暮らしていました。


が、


先月末から実は一人、同居人が増えました。
父方の祖母が同居しだしたのです。


現在、84才。
でも、髪の毛は染めてもいないのに黒々とし
白髪の一本もなく、50才の父の方が明らかに
白髪が目立ち、毛量もふんだんにあります。


食欲も旺盛で、決して少食でない22才の私よりも
確実によく食べます。


ただ、足が弱くなっており、
家の中でも杖もついています。

だから、もちろん触られたことも、
話しかけられたこともありません。

最初からこの祖母には私の存在が見えないようです。

一度真剣に、祖母には「『私』が見えないのかも知れない」
と思ったことがありました。

でも、どうやら見えているようで、私がドアのところで立っていると

「邪魔」

と言われたことがあったので、見えているんでしょうw


男の子を三人産んだことが自慢の祖母の、



なかなかな事をいってくれます。

っていうか、こんなことは「フツーの人」は
決していいません。

そんなエピソードが数え切れないぐらい重なり、
自然と付き合いがなくなり、

ここ数年は全く会わず、
父だけが年に1回夏に祖母の顔を見にいっているという
細々とした交流を持っていました。

でも、祖母と同居していた父の兄(伯父)一家が
「もうこんな祖母とは同居できない」と言いだし、
うちの家にくることになり、

1月末に大阪の片田舎にある我が家にきたのです。


中学生の時以来、会っていなかった祖母を久々に見た感想は
「弱ったな」というのが正直な感想です。

でも、祖母にはやっぱり私が見えないみたいです。


そして、数年振りに見た祖母は介護を必要とする
身になっていました。


なんとか杖をつけば歩けるけれども
自分ではお風呂も入れない。


おしっこを漏らすので、おしめをしていて異臭がする。

これが、数年振りにみた祖母でした。


そこから、父と母の祖母への介護が始まりました。
デイサービスを使ったり、毎晩、祖母の身体を洗い、
顔も洗ってやる。

おもらしで濡れたシーツなどを洗濯する。


そんな父や母の姿をみていると自然と
「何か手伝って欲しい?」
という言葉が自然と出てきます。

もちろん、本心じゃありません。
大変そうな父母見て思わず言葉が出てきただけです。

父母は
「その言葉だけで充分だよ。ありがとう」
というだけでした。


ですが昨日の夜、事態が一転しました。
父母が二人一度にインフルエンザで倒れたのです。
元気なのは私だけ。

こうなったら、祖母の介護は私しかする人がいません。


祖母の服を脱がせ、身体を洗い、汚れた衣服も洗う。
お漏らしでビチョビチョに濡れたシーツを取り替え、洗う。

こんなことを汗を掻きながら、必死にしました。

全てを終えるのに小一時間かかり
祖母をやっとベットにねかしつけました。





でも、やっぱり祖母には私が見えないみたいです。

いくら念入りに身体を洗っても、
私は祖母の中に存在できなみたいです。


そう、考えたとき、涙がとまりました。

別に「ありがとう」と言って欲しくて
介護をした訳ではありません。


でも、これがきっかけで少しでも距離が縮むかなって
下心があったのは否定できません。


こんな下心が神様へばれてしまったのでしょうか?



22才にもなっても

私はまだ愚かな子どものままです。

そろそろ諦めないといけないのです。

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