不特定の周期で、よくこう思います。というか思うようにしています。
「5年後、10年後の自分を明確にイメージでき、またそれに向かって今 行動しているか」
人間、はっきりと言葉にして表現する事の出来る「目的、目標」を 持たず日々を過ごしているとただ、無意味に時間に流され、 悪戯に日々は過ぎていきます。 それをあたしは心の中で『快楽主義』と呼んでいますが。
例えば5年後、10年後になりたい自分をイメージ出来るか。 しかも、明確に。という問いにはっきりと答えを出せない自分がいるとする。
焦ってください。 見つけてください、探して下さい。
一日、もしくは数時間、の単位で生きてしまっていないかと。 『自分の人生』というものを、真剣に見つめてください。
人間の習性として、誰もが無条件に 『時間に流される』『楽な方に流される』 という傾向があります。
意識して、一番最初にあげたような問いかけを定期的に 自分に向けて行う作業を繰り返さなければ 特に弱い人種である自分は、 最後の最後、自分が死を迎えるとき心から幸せになれないでしょう。
なぜなら、あたしにとって『いきる』ということは、 『しぬ」時のためにあるからです。 最終的に自分が死を迎えるとき、ああ、あたしの人生はいいものだった、と 思いたいのです。 どうしたら思えるかと考えると、あたしの場合
どれだけ目標や夢を見つけ、それを叶えるべくどれだけ忠実に努力をしたか。 そして一番大切なものはそれは叶ったのか。 ということです。 惰性や快楽で生きていくのはまっぴらごめんなのです。 人間ですから。 それすらできないでただ時間と共にのんびりと生きていくのなら あたしが人間である意味はどこに。
アタマの中でイメージできることは、必ず可能なはず。 だから、目標を確実につかめたらそれにむかって努力しようということです。
ちなみにココで大切なのは「目的」と『手段』を間違えては行けないと言うコトです。 例えば今あたしは16日に、社内で行われる大きなプレゼン大会の発表者に 選ばれたため毎日徹夜で資料作りをしています。 毎日そうするのは16日に社長や常務、女将に認められるためです。 みんなにあたしのやってきたことを伝えるためです。 だけど、おっきな目でみたら今のこのガンバリは『手段』でしかないのです。 16日に目標をみているんじゃない。 これは、『一人前の仲居さんになる』ための手段のひとつです。
手段と目的をまちがうなと、どうして強く思うのか。 それは、『手段A』を『目的」なんだと勘違いしてしまうと そのAが達成された時、その先がないからです。 とても危険です。
だから、自分の目的を見つけようとする時、落ちついて、ゆっくり、大きな目で 判断して下さい。 目先だけのことにとらわれていないか。 確かに向かう先は見つけたけれど、それは目的ではなく『手段』で、 その先がまだあるんじゃないのかと。 何度も何度も考えてください。
さて。自分の話に戻りますが。 あたしには、まず揺るぎ無い生きる目的があり、 そのためにまた目標、目的があり、 そのためにめざす手段がある。
ということです、まとめると。 あたしが今毎日ガシガシ努力をするのは 一ヶ月後の会議で表彰されたいからじゃない。 三年後に、一人前の仲井さん(どこのダレだよ)になっていたいからじゃない。
それはすべて手段、理由であって、最終的な最後のゴールは 『いい死』を迎えるため、
すべてはそこです。はい、極論ですね。
最後に自分を振りかえってどれだけ晴れ晴れとした笑顔になれるか。 その瞬間の為にあたしは今も、これからも、 存在するのです。
ヤッパシ人間でこの世に生まれたからには 適当に快楽を求めながら生きていく事はしたくないなと、 何度もシツコイですが(笑)
努力出来るのは人間だけですから。
では今日はココマデ。
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