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1988年06月21日(火) q

701 名前: 684 投稿日: 03/01/11 00:43

で、「催眠術未満の救い業」という事実は
認めるということでよろしいですね、ぼくちゃん。



702 名前: スーパーボンビーマン 投稿日: 03/01/11 01:13

私も何年間かまじめにやりました。でも目が覚めた今は自分の心にウソを
つき続けていて、辛いです。努力する事には価値があると思いますが、無駄な
努力も現実にあります。教団にご奉仕するというのはそっちに近いです。現実の
生活が良くなるわけでもありませんし。道場行かずに時間を有効利用したほうが
よっぽど日々の生活が充実している今日この頃です。



703 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 03/01/11 02:07

>702
「一番遠回りに見える道こそが実は一番の近道である」



704 名前: 703 投稿日: 03/01/11 02:10

あ、上の「遠回り」ってのはいわゆる「生業」のことね。
「ご神業」はホントの遠回りだから。



705 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 03/01/11 02:47

初めまして。私は、某真光の元組み手です。
その情報について、特に、「世界真光文明教団の謎」が、特に気に入って読んでました。
親しみやすくて面白かったです。
ところがある日突然そのサイトが無くなってしまい、残念に思いました。
それで、そのことについて、思い切って世界真光文明教団に問い合わせたところ、
有馬さんと言う人が受付に出てきました。
そして、
「作者さんは、あのHPを書いたあと、後悔の念にかられて、私に謝ってきまし
た。そして、自ら神様にお願いして削除をしました。お詫びの念はメールで頂いて
います。」
と言いました。
そんなに真光の神様って凄いんですか?





706 名前: 冬眠組み手 投稿日: 03/01/11 08:47

真光の神様がすごいというか、私は「世界真光文明教団の謎」って読んでないので
どんなページだったかはわからないんだけど、結局そのページ立ち上げた元信者さんは
自分の中に積み上げてきた神への畏怖にやられちゃったんじゃないかと思います。
カルトにはまって抜けられない信者の典型なだけって感じだと思う。
それは言い換えてみれば、真光の教えのマインドコントロールがとても強力なことの
証明になると思う。



707 名前: 元世界真光組み手(プラウス) 投稿日: 03/01/11 18:08

>>706
「世界真光文明教団の謎」を公開していた者です。

するどい!
今あなたの書きこみ読んだけど、
>自分の中に積み上げてきた神への畏怖にやられちゃったんじゃないかと思います。
>カルトにはまって抜けられない信者の典型なだけって感じだと思う。
>それは言い換えてみれば、真光の教えのマインドコントロールがとても強力なことの
>証明になると思う。

よく考えてみたらそうかも…。

ちなみに、真光辞めて半年以上たった今でも、頭の中で天津祝言を言うことがあって
怖い…



708 名前: おかいものさん 投稿日: 03/01/11 19:06

>>695
>幹部の人も暖かいし、明るいし、
>悩みも聞いてくれて、一緒に解決してくれる人もいるし、
>ご奉仕などは一切強制はないですよ。

レスをありがとうございます。
けれど(お言葉を返すようで恐縮ですが)私の所属していた道場も、いいところでしたよ。
昨日はごちゃごちゃと人間関係についても書きましたので、説得力はないかもしれませんが。

ご神業者とはいえ神ならぬ身の人間には、不義理に対して負の感情を抱くことも当然ですし、
むしろそれを感じずに、にこにこやさしく接し、接するだけというのも
不自然で不気味な感じがします。
でも、ご神業をしていると、そういう自然であるはずの感情の発露すら、
自分の中で裁きの対象になりかねないんですね。
でもその裁きの感情も、また自然な感情の発露で…なのに裁くことによって己に裁かれる。
そういう裁きのスパイラルが解消できないストレスを生み続けました。

ご奉仕もご奉納も、勿論強制ではありませんでした。
それにもかかわらず、ご奉仕・ご奉納・道場参拝を繰り返すことによって
自家中毒に似た症状を起こすようになってしまいました。
それは真光(既存の宗教には全て似たようなものであるような気がしますが)の教義の根本に、
利他、真吼え、教線拡大・教線五梅化(二代さま時)、宗教人類の統一
というものがあり、その教義を実現できない自分自身にストレスが発生してしまったからだと思います。
教義を実現できないというよりも、私はなんだか全ての人類が真光の組み手になって
全ての人が祝詞を奏上し、手をかざす。そんな世界がくるのはイヤだったような気がします。

私は多分、日常生活をおくる上で一人、神と対話し、神について考え、神とともにある、
そんなふうなことを求めていただけなんです。
それには、他者に教義教理を真吼えることも、もしかすると手かざしすらも必要なかったのかもしれません。
つまり私は真光の神様が望むような組み手ではありえなかった。
なのに無理に自分をそのカタにはめようとしたために、苦しんだのだと思います。



709 名前: 冬眠組み手 投稿日: 03/01/11 19:08

ああ…別板のクッキーが残ってしまった。
真剣な話をしている時によりによって買い物板のクッキーはないじゃないですか、神様(涙)
「708のおかいものさん=昨日の冬眠組み手」です。

↓つづきです。

真光にいる時、私は真綿で首を絞めるように追い詰められていくような気がしました。
皆に親切にされるほど、暖かく接していただくほど、何か恩に報いねばと
焦りが深まりました。
今この瞬間も、私は神(文明教団)への畏れと、こうして語ることへの欲求の板ばさみになって
とても苦しいです
この感情は「世界真光文明教団の謎」を立ち上げた方の気持ちと似ているかもしれない。
私の苦しみはどこからきたのか?それは本当に必要だったのか?何のために苦しむのか?
私は神を裏切ったのか?何か大きな存在を畏怖する気持ちは変わらずここにあるというのに。

この苦しみは694さんがおっしゃってくれたように、
必要のない苦しみ…真光を知らなければ知ることがなかった苦しみです。
でももしかすると、

「神と対話し、神について考え、神とともにある」

…どの宗教もそれだけじゃだめなんですよね。
なので、私はもうそれはいらないんです。
そのことを知るための苦しみだったのかもしれないとも思います。

長々とまとまらない文をすみません。
こうやって語る行為も「真光における体験談」ぽくて皮肉です。
そろそろひっこみますね。




710 名前: 冬眠組み手 投稿日: 03/01/11 19:13

>>707 元世界真光組み手(プラウス)さん

こんにちわ、はじめまして。
…なんていうか、立場的に似た状況からの、勝手な推測すみませんでした。
そういう畏怖の念や罪悪感はとてもよくわかります。
誰に裁かれずともまず自分に裁かれてしまう。
マインドコントロールってすごいなと思います。


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