French Wolf の日記
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2004年01月29日(木) 考える日


木曜日。

日記は寝る前につけるものだ。多少遅れることがあるのは、読者諸賢同じだと思うが、はやまってつけてしまって、後から補足するほどかっこうわるいことはない。

が、なりふりは構っていられない。昨日水曜日の夜、トラブル発生である。納品したファイルの見直し依頼が舞い込んできたのだ。これ自体は、それほど珍しいことではないのだが (決して自慢できることでもないのは承知、恥さらしであることも承知の上だ)、ヴォリュームが恐ろしい。3 万字以上の日本語に相当する内容だ。しかも医学。

本来ならば元々担当した翻訳者にフィードバックし、修正を加えてもらうのが、一番効率がよいし、実際納品いただいたものには最後まで責任を持ってもらいたい。が、相手によってこのような「極めて当たり前」、「理屈にかなっている」と思われる主張も、その他諸々の事情によりがらがらと音を立てて崩れていくこともある。

今回がこの好例だ。最終的に午前 1 時過ぎまで、なんとか自分も含め協力していただけるヘルパーの手配をつけるのに苦戦した。昨日の夜の時点では、まだ 100% 割り振りが決まっていなかったのだが、できるかぎりの態勢を整えておいて、眠っておかなければ今日の木曜日の決戦に備えられないというわけで、就寝。

そして今朝。捨てる神あれば拾う神あり、を再認識。さまざまな人に声をかけた甲斐があった。しかもみなさん自分がいろいろと仕事を抱えているのに、できるだけ協力するというあたたかい言葉をかけてくださったのだ。(それに対して、無碍に断った本来の責任者は、いったい何ものだろうか。怒りというよりも、哀れな感情がわき上がってくる。このままこの調子で進めたら、仕事も人も寄りつかなくなっていくことに気づかない・・・かわいそうだ。)

何とか手配を終え、自分の担当の見直しを始める。この分野はかつてフリーランスで仕事をしていたときには、文字通り辞書と首っ引きで作業を進めたものだが、今回は一言一句を確認していくというよりも、「日本語になっていない」スポットを特定し、また前後の関係から誤訳が疑わしい場所を明らかにすること、そしてこういった問題点を修正することだ。もちろん原文と照らし合わせることは必須。仕事しながら、自分にとって一番むいているのは何だろうか、と疑問が脳裏をよぎる。

確かにフリーランスのときも大規模なプロジェクトが入れば、プロジェクト チームを編成し、マネジメントを担当してきた。が、同時にメンバーの一人として翻訳にも参加していたのだ。しかし会社設立以来、特定のプロジェクト以外は外注さんにすべてをお任せしている。経営方針というか、ポリシーの問題で、「自分でした方が儲かる」と考える方とは拮抗するものだが、あくまでも「自由な時間」「自分のための時間」を作る方が、長期的にメリットが大きいと考えて選択した道だ。

自分で仕事をした方が早いし、儲かる・・・この道に進んでしまうと、収入や時間を増やすためには、もっともっと働かなければならない。他人に任せると遅い、面倒、と考えてしまうと、最終的に自分が持っているキャパシティが使い果たされるときに、その人の QoL も問われることになるのではないだろうか? 最初は手間もかかるだろうし、人間関係だからそう簡単に問屋が卸すわけがない。だが、これを乗り越えていかなければ、加齢とともに自分の能力にも限界があることに気づき、またその限界が指数関数的に衰退曲線を描いていくのに気づいてもときはすでに遅し。

何を書いているのだろう?

プールにも出かけた。やっていられない気分になってしまったからだ。なんというか不条理な世間。厭世的になっていたのだろうか? 否。自分の方向性がつかめなくなってきたのだ。無意味な思考だけが先走り、建設的なもののとらえ方の兆しすら見えない。体を動かした方が得策だと思い立ったまでだ。



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