ta@NO DOUBT

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2001年06月20日(水)
■文法知識は無いに等しい!?■

 さて、今日は何かとシンドイ曜日。本日は、英語教育法の授業でヘコミまくり。

 まずは、この一文を訳してみてちょーだい。

 When he arrived, Dr. Yamano put both hands against the tree and closed his eyes.

 この時、Whenのところを、何気なく「〜する時」と訳してはいないだろうか。ここで、まず、先生に指摘された。「ここは、同時性が見て取れるから、『As soon as〜』のように訳さないとダメ」なんだそうです。「時がズレているなら、AfterやBeforeが出てくるはずだろう」と、とどめを刺されましたよ…。


 では、次の文。

 Through his palms, he could feel moisture. He felt that tree was breathing.

 ここでは、couldの訳し方について指摘を受けた。canには、1.能力、2.可能の意味がある。ここでは、勿論「能力」を表しているんだが、何気なく「感じることができた」と訳してしまったオレには、先生の集中砲火が待っていた。ここは、ちょっと回りくどい言い方ではあるけれども、「感じる能力を持っているのであった」と訳すのが正解らしい。オレの訳だと、「過去の一時点で、それができた」という意味になり、恒常性を示せていないから、ダメ翻訳なんだってさ。

 それから、ここは文が2つあるけれども、ブツッブツッと切って訳すのはNGらしい。文と文には、結束性(=cohesion)があって、たとえ文面に接続詞がなくとも、自ら補いながら読んでいく必要があるそうな。だから、この場合で言うと、「手のひらを通して、水分を感じる能力があるのであった。"だから、" 彼は、木が呼吸していたのを感じたのである」と訳して、初めて合格なんです。


 では、しつこく次の文。

 "The tree will live," he said.

 ここは、willに注目。すっかり忘れていたことだが、助動詞ってのは、「話し手の意志を表す」言葉なんですよ。だから、ここは、「木は生きるだろう」と訳して終わりなんじゃなくて、言った本人の勃発的な意志(=木は生きるという予測をしている)が表れているんだってコトを、学習者に伝えねばならんのだそうだ。


 いやぁ、参ったね。これ、高校1年生の英語ですよ。こんなに奥が深いとは…。

 来週は、オレの番…。あ〜やだよぉ……。
 


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