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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

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2003年12月23日(火)

時間が大切じゃない人なんていない、としみじみ思う。

電車のなかで、私はノートを広げる。これはあんまり他の人がしているのを見たことがないので、誉められたことじゃないのかもしれないけれど、車中で日記やら小説やらを書く。立ったままでも書ける。他の人にちょっとくらい見られても平気だ。よく「公の場の個室化」なんて言って、化粧する、などのことを批判されるけど、私もそういうことなのかもしれない。

まわりの人もいろいろなことをしている。勉強している人は意外と多い。環境問題、商品管理、語学、カラーコーディネート、美術品、薬学、顧客管理、その他さまざまな本やプリントを広げて人々は勉強している。もちろん、携帯をいじったり、ヤンマガを読んでいる人なんかも多いけれど、電車の時間を貴重に思っている人は実はかなりいるはずだ。
勉強している人、というのは学生ではない、明らかに働いている人たちだ。

おそらく、人というのはメシ食うだけじゃ生きられないのだろう。
勉強したい、というのが生きる上で必須なのだろう。
もしかしたら、南の島でなんかはそんなことはないかもしれない。
でも、日本でサバイバルしていると、勉強したい、という欲求を退けるのは難しいのだと思う。

私は、多くの人と同じように、勉強は嫌いだ。でも勉強したい。
それは、どこに行きつく当てはなくても、精神安定のために、「勉強している感覚」というのが必要だからだ。
日本にいて、文化と触れ合わず過ごすと、置いてけぼりの感覚を味わわずに落ち着いているということがかなり難しくなる。

30歳になっても、40歳になっても、それは変わらないだろう。

余裕があるから勉強しているわけではなく、かなり精神的にぎりぎりになったために勉強している、という人が多いのではないだろうか?


ところで、私は最近、松浦理英子の小説がすきだ。
それから、ガブリエル・バンサンの絵本。


空を見ていると、どこをみているのかわからなくなるときがある。
ビルを見る、木を見る、それならわかる。
でも、空はどこまでも続いている。焦点の合っているのは大気圏なのだろうか。
或は、宇宙までも見ていることになるのだろうか。




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