私の家のベランダに鳥肌が立つほど大きく、鮮やかな色彩の女郎蜘蛛が棲んでいる。大きな巣を張っている。 女郎蜘蛛はなんで女郎なんだろう。 が、それはまあ構わないで置く。 洗濯物を干すときに、いつもどきどきしながら干す。彼女の近くには干さない。 離れたところに干しながら、ちらちらと目をやる。 見ているととても不思議な気持ちになる。 母も気がついてはいるのだろうが、ほっといているみたいなので、私もほっとく。 巣は大きくなる。 巣にかかった虫を彼女は食べる。 彼女だけは巣にひっかからない。 糸の上を緩慢な速度で動いて行く。 どうして彼女の手は糸にからまないのだろう。 特別な手なのだ。 魔法の手だ。 そういえば私たちも魔法の手を持っている。 自分の空想の中では、自由に動き回れる。なんだってできる。でも、 他の人は私の空想の中で、私の想像の動きしかできない。 私は私の空想を大きくすることも小さくすることも、世界そのものを移動することだってできる。でも他の人に私の世界をどうこうすることはできない。 そして、人の世界は私には変えられない。 人の空想の中に私が登場できたとしても、私は私のとりたいような行動はできない。 人が考えること、感じることに対して、私は完璧な無力だ。 でもその人は魔法の手で、自分の世界を素晴らしく作り上げ、すいすいと渡って行く。 それは自由なんかじゃないかもしれないし、悲しいことかもしれない、わからない。 でも魔法の手があるのは本当で、その効力がある中だけでも、それを駆使して、何が悪い。
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