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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

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後輩の演奏会に行ってきました。
2002年11月17日(日)

先日、大学の後輩のコンサートがあったので聴きに行ってきた。
私は大学時代、マンドリンクラブに所属していた。

そのコンサートが予想以上に上手かったので、気持ちが昂ぶった。
すごく上手かった。
プレリュード3(地味だけど私は大好き)、とか、幻想曲(はやびきのイメージがあったけど、聴くと、不思議な感じにふんわりしてまさに幻想曲、と思った)とか。
私はどちらかというと辛口なので、こう言うということは本当に上手かったと思っていただいて良いと思う。
強弱がきっちりついていて、パートのバランスも良くて、いいものを聴かせてもらった。
最初は人数が少なくてどうなることか、と思ったけれど、1部、2部、3部と進むうち「やるなー」と感じた。



ところで、これはもう、個人的なことなんだけども、
私は去年卒業したので、演奏会に行くと、知っている人がたくさん来ているし、弾いている後輩もほとんど知っている子だ。

それで、思ったのが、私はのほほんとしているから誰かとぎこちなくなることはあまりないだろう、と思っていたけれど、実際はぎこちなくなってしまうことがすごく多いということ。
思い遣りの欠如だ。
自分のそういう部分をもっと意識したい。
ふりまわしたり、冷たくしたりもする。
私は自分は大したナイフを持っていないつもりだから平気でいるのだろう。
今までのことを振り返るに、わかっていないふり、よく知らないふりをしながら、でも本当は意識的に、人を傷付けてきたことが、きっと想像以上にある。

特に何が、ということでもなく、そう思った。
自分ばかりが悪くもなく、理由があったり、例えば相手にも落ち度があったりしても、そういうのって問題じゃない。
自分にそういう部分があるのは、絶対だ、そういうことだ。

もっと丁寧に、じゃあね、と言うことをすれば、久しぶりに会ったとき、作り笑顔でもなく、お喋りできたりもするのか。

耳をふさいだり、口を噤んだりすれば、過ぎていく、と思ってもいた。
そういうのも自分本意だ。

よく、色々な人にあやまりたい、とも思うけれど、それだって、自己満足の世界なんだろう。

別に仲の良いことが素晴らしいとも思わないし、修復したり、長続きさせたり、勿論、思わない。

でも、自分の中には、冷たくて残酷な部分があるということを忘れたくない。

若かった、と言えばそうなのだろうけど、若かった、で片づけていいの?

時間はきっと解決してくれなくて、人間関係はもっとシビアだと思う。

私は兎に角、自分はひどい人間だということを忘れないようにしたい。
これから、あきらめたり、努力を怠ったりしない、注意深くしよう。
そして、今出会っている人のことを、すごく丁寧に、大事にしたい、と思った。








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