Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2021年02月19日(金)



昨年春に同僚になった若い運転手、彼は出来高払いの主に中国観光客を空港からホテルまで運ぶ会社に所属していた、いわく、2月3月運転手がたくさん風邪引いて休んで所長が風邪引くなと毎日訓示たれていた自分も家族も風邪ひいていたという、3月になって入国制限かかって稼げなくなったので転職してきた、のだった、


オレは昨年3回ばかり風邪をひいた、だるくなって関節が痛くなった時点でいずれも味噌玉子おじや食べて一晩寝て治していた、2月に糖尿病でフラフラになっていた直後に通院投薬食事改善して二週間で完治数値にしていたことはギリギリラッキーだった、あぶねー、


きちんと食べて眠ることと小沢健二セカオワ「ふくろうの声か聞こえる」が歌ったのは予言的だった、わたしたちには免疫しかないのだ、腸内細菌を良い状態にしておくこと、


小沢健二という音楽家は予言的な稀有な存在だと思う、言葉の密度、世界がコロナ禍に見舞われる2020に「彗星」という音楽のもたらす免疫向上作用、!、書いてて笑ってしまうぜ、バカかおれは、


音楽がなければ、この歓びの感覚がなければ、とてもじゃないがまともに生きていられる世間ではないよな、悪気はないんだろうがクズな社会だ、でも家族と仲間は守らなければならないよな、「2000年代を嘘が覆い、イメージの偽装が横行する、みんな騙される笑って、だけど幻想はいつも崩れる、真実はだんだんと勝利する、時間かかってもね」、小澤開作、小澤征爾の父、小沢健二の祖父、のこともさ、





1曲目ギターのトンガリがたまらん坂
マークリボーなのかーセンスあるパンクバンドかと思った
そうとも言えるえる




籠の中に画像指示通りに半裸でポーズを取らされているグループから抜けてコンサートホールのステージに走り込んだ、観客席から喝采が起こる、手を振ってほんとはここでシューベルトを歌いたいんだが、じゃあステイトオブインペデンダンスを歌うよ、わっと拍手喝采、歌詞カード出してくれ楽団員に頼む出てこない、打楽器奏者イントロ始めるがリズムが合わない、まあオレはジョンアンダーソンじゃないしな、観客席に降りる、隣に太目女子見染められる、ステージでは井谷享志がリハ、ミスチルの新曲この曲のために召喚されたドラマー、ホール全体が熱気に包まれている、観客席から離れてトイレに向かう石堂のような空間小便を放っていると小学生3にんが覗き込んでくるオマエらチンコ見るな、トイレから戻る列ステージまん前にきてウオーッ雄叫ぶ、聴衆つられて轟音歓声をあげる、やったー、オッサンまだ始まらねーよヤンキー若者に野次られる、太目女子のところへ行きこの井谷享志というドラマーはすごいんだよと話しかけて仲良くしてもらう、でもちょっと待ってくれライブの新曲聴いてからだよ、やたら喉が渇く、と目が覚めた、



もうジョンアンダーソンもミスチルも聴きたくなることも編集CDR選曲することもない、のに!こういう隠したくなるような夢をみてしまう、これはある熱気的な状態を記憶している名残りもしくは反響の類いなのか、抑圧しているマグマの正体であったりするのか、困ったものだ、とても他人に話せることではない、



マスクは防空頭巾、



昭和に死す―森崎湊と小沢開作1988 アマゾンレビューからコピペ
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小沢征爾の「征爾」は満州国の立役者である板垣征四郎の「征」と石原莞爾の「爾」をとって名づけられた。その父である開作は中国東北部の長春で歯科医院を開業するが満州事変が勃発、満州青年連盟の活動に参加することで、民族協和の自治の理想郷建設にまい進する。しかし軍人と官僚の国になってしまった現実に挫折し北京へ去る。華北臨時政府の「内面指導」のための組織である新民会を支えるが、そこでも失望した開作は昭和十九年に帰国、その後二度と中国の土は踏まなかった。戦後は市井の一歯科医として生きていくが、有名になった息子に連れ添ってロバート・ケネディにベトナム戦争について意見書を提出する。

著者は二人のその死に際して今はなき自らの原郷(パトリ)に思いをはせたのではないかと結ぶ。
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Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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