Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2020年10月12日(月) 筒美京平、逝去の報






ひげカッコイイ日本人現代音楽家のコンサートに来ている、会場の後方にはグランドピアノが置かれている、譜面台にCDが置かれていて、会場のBGMはこれか!、コレクター友だちが盤に感心している、この作曲家メロディアにはいいものが残っているんですよね、ミニマル志向のアコースティック打音感覚に力点を置いた演奏、もっと灰汁の残ったカンジはあるのか、



ジャケを画像検索にかけていると、タブレット表紙画像がエッチな画像に設定されている、トイレに向かう娘がチラ見して通りすぎる、タブレットからリストがプリントアウトされる、本のタイトルばかりのよう、古本と新刊を扱う本屋の棚をチェックしている、箱モノだらけの足もとに種という漢字で始まる著者不明の12冊ボックスセット、大小装丁の異なる、詩集や音楽論集もある、タイトルが読めないが、欲しい!4780円、手を伸ばす、他の客が邪魔して横切る、リストにジャズというタイトルの新刊があるらしく小太り婦人が他の新刊本屋を探してきたと息を弾ませる、オレは興味ないね、それよかさこのレアなボックス、



あれれ17980円に値札が変わってる、20kgのお米どんだけ買えるのさ、買う気が失せる、ECMというのはさそのアーティストの登用前のリリースを掘ればお宝が眠っているというメルクマールとして認識されるんだよ、わかる?、と何故か演説している、と、目が覚めた、



昭和の神田を偲ばせるお弁当屋さんおばんざい手豆屋の家屋が取り壊されていた、今朝通勤の途中で見かけた、寂しさ、リーガルリリーのスターノイズが耳に鳴る、ぼくのこの街の思い出に鳴る、かけがえのない楽曲、はて、そしてそのような個人的な感傷は音楽批評においては無価値だと思うのだ、還暦になり判明する真実、音楽聴取の統一理論の確立、だれだい、京都の夜、



同じところをぐるぐるまわっているうちに足腰の筋肉が細くなってしまった、シマウマ、恋太郎の情熱聴取に触れてハマり込む舐達麻、アメリカのヒップホップの型の踏襲以下にとどまる、日本という国は次々と型を輸入してコアなる精神を継承させる決して捨てない八百万の神さまのディズニーランド、おおいにコトバに傷つきコトバに希望せよ、あいみょんと小沢健二が同士だと言い合う、



NHKヒューマニエンス、聴取、聴覚、耳たぶ重要、空間把握こそ!、だよねー、



ジョンケージはおそらくバックミンスターフラーやマクルーハンの思索に導かれて、晩年、中心のない社会、言い換えれば無数の中心が偏在していることによって、一つの中心を持たなくなった社会を理想ととして思い描いていた。音楽を生活と一体を理想としていたケージは、理想とする社会のモデルとして、一つの空間に無数の音・音楽・音楽家がひしめく「ミュージサーカス」を行なっている。このように無数の中心をもつ社会において、音楽の創造は果たして、どのような軌道を描いていくのだろうか。(白石美雪)



無数の中心、とは、西欧、日本、ではなく、



!!!筒美京平、逝去の報、14時55分、80さい、また逢う日まで、強い気持ち強い愛、木綿のハンカチーフ、人魚、ブルーライトヨコハマ、








































Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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