Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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| 2018年10月02日(火) |
高橋悠治の76年と04年のゴルトベルク、 |
(1)
平和台駅前のあゆみブックス、田柄の文化発信拠点、を、守らなければならない、が、
湯浅学『大音海』(ele-king books)■と、 青柳いずみこ『高橋悠治という怪物』(河出書房新社)■ の表紙を写メしてくることしか今はできない、本屋でそげなこと、本屋でポケGOすな、ポケGO、
高橋悠治のCD、『めぐる季節と散らし書き 子どもの音楽』2017、『余韻と手移り』2018、耳が離せない、瞬間に謎と恐怖が、いつこの瞬間が終わってしまうかわからないような、
『大田黒元雄のピアノ ―100年の余韻―』2016で高橋悠治と青柳いずみこの連名作品、「ラ・メール・ロア」では連弾している、ピアノの音が特殊な感じ、こちら側の受信が試されてる、
『高橋悠治という怪物』(河出書房新社)、名著との評判だ、はやく入れろ光が丘図書館、
高橋悠治の76年と04年のゴルトベルク、いまだときめく、聴き比べするぞ今夜は、
musicircus 堀内宏公のレビュー ■ 「全曲約37分の快速で飛ばした1976年の前回録音。スピードは推進力とは無縁のまま、破砕されたガラス片が静止した時間内に「バッハの音符の姿」で宙吊りにされていた。そして28年を経ての再録音。90年代以降の高橋悠治を聴き続けてきた者ならわかるように、いまや、かれは音楽を音の構造のなかに求めてはいない。たとえば、身体が宿している楽器や音との重畳した関係性。あるいは、生まれ、消えさる音が辿る「場」の気配、そこによりそう精神の作法によって成立する音楽のかたち。だから、今回のバッハでも、まず能率的な運指が疑問に付され解体される。つぎに、理想的な解釈をめざした登攀の否定。いつだって、解釈は後付けの行為。そうではなく、バッハという「場所」のなかで、できるかぎり記憶も予感も投げ捨てて、瞬間的な出逢いと喪失の連鎖を味わいながら、一歩ずつ前に進むこと。そこに現れてくる景色や感動が、規範である必要はべつにない。」
名文だ、
(2)
9月1日に更新された Jazz Tokyo で、トーマス・スタンコ追悼をポストしていたのだ忘れてた、 ■
Tomasz Stańko – trumpet Tomasz Szukalski – tenor saxophone, soprano saxophone Palle Danielsson – contrabass Edward Vesala – drum
懐かしいディスクユニオン新宿店地下ジャズ売り場の左側の欧州レーベルコーナーで、ドキドキしながら買ったこの『Almost Green』なんかが、ヴェサラ愛好の小生としてはたまらない、
(3)
三善晃:札幌オリンピックファンファーレ ■
札幌オリンピック ジャンプ 笠谷・・・ ■
蘇る8�丱侫�ルムより 昭和49年5月撮影 〜懐かしの北海道〜(上) ■
北海道砂川市の廃校【HDRスライドショー】 ■
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