Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2014年05月16日(金) 「フリー・インプロヴィゼーションとフィールドレコーディング、アルヴィン・ルシエと小津安二郎」





タガララジオ44を入稿、ジャケ写のフォルダ画像なり。

おお、ヤンキースまーくん、無傷の6連勝、ニューヨークを制覇。

先週日曜のNHKマイルカップ(GI)、府中の東京競馬場に行ってこようかな、なんて思っていたけれど、無職で行くにはまだ早い、と思いとどまる。東スポ渡辺薫に乗ってれば取れた馬券だぜ。大外から2着3着に突っ込んできた2頭は今後も楽しみだなあ。

ドンキに行かなくなったのでクリエイトで違う銘柄の重曹を買う。味がちょっとチガウ。わけないよな!同じ成分だぜ?こっちのほうがしょっぱくてうまい、のは、気のせいだ。

亜麻仁油を3本、アマゾンに注文する。

昨夕、ラーメン食べに出ようとしたら、右後ろのタイヤがパンクしてて、がってむ状態、ここでタイヤ代はいてえぜ。

タイヤがパンクした状態で過ごす夜というのは、今すぐどこへへも行けない、という苦しい気持ちになって早寝をしてしまう。

こいぶうから荷物運搬の要請。


昨夕にアップしたアムステルダムメモリースペース衝撃 に、

数時間後、福島恵一さんから濃厚な論稿をいただく。

耳の枠はずし
「フリー・インプロヴィゼーションとフィールドレコーディング、アルヴィン・ルシエと小津安二郎」


アルヴィン・ルシエ、アンドラーシュ・シフ、エヴァン・パーカー、蓮實重彦、橋爪亮督、前田英樹、小津安二郎

が並ぶ論稿というのは思いもよらない拡がりだ。

おろおろと聴きながら指差し確認しただけのわたしの散文が、魔法のように。

「途方に暮れること」「それこそが豊かさなのである」
このフレーズには、とっても背中を押されるのであったりします。たはは。


”フレーズを排し、エレクトロニクスに頼り切って、いかにも「音響」ぽいサウンドの見かけをなぞることや、サンプリングされたループの重ね合わせをはじめ、その場に敷き詰められ響きをかき乱すことのないように、「空気を読んで」、当たり障りのない極薄のレイヤーをおずおずと重ねることの繰り返しが、即興演奏ならではの質や強度を獲得することは永遠にないだろう。なぜなら、そもそもそこには即興的瞬間が存在しないのだから。”

唐突に上原ひろみが俎上に上げられているが、これはわたしの日記ブログでタダマス13福島さんレビューに応答する途上で、「ぼかぁねえ上原ひろみだのショーターだのハンコックだの、そういうジャズには期待していないんですよ」と Jazz Tokyo 神野さんのコメントをリンクしたりしていた経緯もあるからです。

こないだのタクタイル・ライブ・レビュー
における、「眼の前に広がる空間にぽつんぽつんと穿たれた音と音の狭い隙間は、ちょうどアルペン・スキーの旗門のように見える」といい、「サッカー・ボールのリフティングの名人芸」といい、まさに!という視覚化だ。

「家のテレビで見たアンドラーシュ・シフ」

“蓮實重彦はスポーツ観戦の醍醐味として「圧倒的な流動性の顕在化」を挙げるが、まさにその通りだ。潜在的なものにとどまっていた線/運動が一挙に顕在化した時の、世界がひっくり返るような驚きこそが、スポーツの快楽にほかならない。そして、音楽もまた。”

“瞬間瞬間に訪れる(それは「深淵が口を開けている」ということでもある)未規定性に向けて開かれている”、「即興演奏の質」。

深淵が口を開けている、というのがたまらない。

自転車を買ってもらって、五稜郭からの支線のあの踏み切りのこの位置、とか、まゆみちゃんちの肥溜めの裏、八百屋のあの木箱、米屋のポスト、だれかが溺れた底無し排水沼の立て札の前、工事の砂利山、を、バスの停留所に見立てて、ルート化して巡り続けていた。ブレーキをかけて立ち止まるたびに、そこに世界が開けていることに見蕩れていた。ただのヘンタイ小学生だ。フィーレコだ。

“つけっぱなしで見てもいないTVから伴奏音楽が流れ、それに混じり合わないギターの調べは隣家の開け放たれた窓から聴こえてくることに気づく。家の前の道路で子どもたちが遊んでいるようで、時折歓声が上がり、それをたしなめる母親の声がかぶさる。風向きが変わったのかブラスバンドの響きが揺らぎながら届けられ、川沿いの道を走るバイクの排気音や急に高鳴り始めた心臓の鼓動と混じり合う。”


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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