Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2012年06月05日(火) 益子博之さんちに現代ジャズ90分セッション押しかけ




この写真は皇居横の国会議事堂前の交差点で信号待ちしてて議事堂に向かって。19時43分。

小石川図書館に予約しておいた本とCDの取り置き期限が今日まで。平日の19時以降は近くの路上駐車が無料なのかー。図書館は21時まで開館している。

タダマスの相棒、益子博之さんちに現代ジャズ90分セッション押しかけをしてきた。なんでこんなに面白いんだ?すごい演奏なんだ?笑うしかないねー!「おおお、今年の暫定1位トラックだー!」を3曲続けて雄叫ぶわたし、伸ばしたもみ上げを揺らして笑う益子さん、それ、尾崎紀世彦リスペクト?と突っ込むのわすれた。前菜はアナログでオーネット、デザートはアナログでコルトレーン&エイリントン、なのはたまたま。

なんていうのかな、やはりもう00年代以前のジャズのカッコよさを形成していたアンサンブルやビートや語り口じゃないんだな、わたしらの快楽センサーは。揺れるハーモニーのありよう、リズムの開放感、気配と言えばいいのかメイン楽器の背後に置かれたわずかな音、とか、今まで聴いたことのない歓びは溢れていて、それは当のミュージシャンたちの欲望のありようそのものだろうし、それを、どう説明したらいいのか、ええと、ええと、と、二人で言葉を捜して、発しては「とも、ちょっとチガウし」、あせりながら虫取り網を持って駆けまわっているみたいだ。

益子はいつか表参道の交差点あたりで「(これらの音楽をあらわす)新しい言葉が必要かもしれない」と言っていた。その後、例のアルゼンチンの音楽サイトが「New Creative Music」と称していたのだった。

野田宣雄著『二十世紀をどう見るか』(文春新書007)に描かれた、国家ではないつながり。華僑とか多国籍企業とか民族とか宗教とかでつながるちからの存在、それは近代がウイルソン大統領の民族自決主義がこしらえた国家を横断していて国家を無効にするちからの様態を想起する。

演奏を聴いていると、その音楽が何を視ているのかはわかる。何を面白がって、何に触発されて、何に快楽を覚えて、成り立っているのかはわかる。いや、わかるような気がする。「そうそう!それ!いいよねえっ!」と、誰かと一緒にいて共感するときに、わずかに異なる相手の感じ方の違いが伝播する体験も含み、の、ちょっと言葉が介在しない領域での伝播というのかな、まあ、だいたいそんなんばっかなんだが実際、・・・言葉はむつかしいよ。

あ!福島恵一さんが!わたしのタガララジオをレビューされているっ!


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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