Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEXpastwill


2008年11月03日(月) クレーメルと連れの美人女性が会場から逃げ去るように道路を横断してきたのだった

2008年9月15日金沢のコンサート評



「ほれ、もっとアップで撮ったるから近づいてねー!」、午前5時に練馬を出発して、午後1時43分に着いたばかりの兼六園(金沢)の池そばでカップルに写真撮影を頼まれてデジカメを構えているおれ・・・。まるでこのカップルのために8時間43分走り続けたような奇妙な感慨。往復1013.8キロの日帰りコンサート鑑賞。思ったより早く金沢に着いたので、まず兼六園で休憩でも、という。


はじまりは今年3月25日のサントリーホールだった。長女のはたちの誕生日を祝おうとデートの約束をしていたのにドタキャンされ!カレシに負けたか・・・思いっきりブルーな気分で「そんなら地方のアンサンブルでも聴いて過ごそ・・・」などと、手ぶらで出かけたところで、オーケストラアンサンブル金沢の世界レベルの響きに度肝を抜かれ(2階ナナメのC席とかでだよ)、スキンヘッドの長身指揮者井上道義のイタリアの空のような天才に出会ったのだった。天野誠さんが制作した輪島うるし塗りのお箸もおみやげにいただいたのであった。いつか金沢の地へこのアンサンブルを聴きに出かける予感はしてた。そしていただいたお箸を長女への誕生日プレゼントへと転用したおいらだった(はたちの誕生日にそれだけでいいのか!音楽ジャンキーのおやじだからそれでいいのだ)。

クレーメルと井上道義とクレメラータ・バルティカとオーケストラアンサンブル金沢が全国ツアーしているらしい。そして、9月15日のアンサンブル金沢『設立20周年 県内縦断ありがとうコンサート 金沢公演』に、クレーメルが急遽参加するという情報をウェブで見つけたのがつい2週間前だった。ニュースではグルジア情勢ロシアの軍事介入が報じられていた矢先で、クレーメルがカンチェリの「V&V」を演るというのである。アンサンブル金沢は、岩城宏之の「みんな第九を年末にやるのはおかしい、ほんとにおめでたい時だけ演るべきではないのか」というポリシーに則り、今回は第九を演るのである。9月の第九、と、カンチェリ。すごい取り合わせだ。数日後、さらにカンチェリの演目が「Lonesome 孤軍」に変更になったという告知。これはもうECM者としては行かなければならない。


カンチェリはグルジアの、ヤンスク・カヒーゼと同郷で首都トビリシ出身。え!カヒーゼじいさんは2002年3月8日に亡くなっていたのか・・・。合掌(拙稿「ヨーロッパの精霊四人組としてのヤン・ガルバレク・グループ」参照)。カンチェリはECMで多くの作品を出している現代音楽作曲家である。トビリシは山に囲まれたひとつの風景であり、そこで、人々は故郷をひとつにし、連帯し、生き、歴史に翻弄されてきた。

さて、コンサートの感想。

カンチェリの「Lonesome 孤軍」。クレーメルが執拗にヴァイオリンの弱音をぎこちなく持続させる。バックでオケが不協和音全開で鳴らしたり、静かに揺らめいたり。このカンチェリをどう聴くか。オケのパッシブな鳴らしは紛争とか悲劇のたとえに聴いて、クレメルの持続した営みを困難な奏法をひたむきにぎこちなくとも不遇をありのまま生きる旋律として聴いて、その対比の祈りのようなオーラを聴く。しかし。そんな物語り的な記述に収束させていいのか、とも、ちと言葉に置けないところ、では、あった。いわゆる体裁が整った作品ではなかったところに感ずるものも発生したというか。何か音楽に痛みを感じるところがあった。


そんで。今回はアンサンブル金沢とクレメルバルティカが一緒にステージに上がったのだけど、総量として音量が上がっても、それぞれの響きの軽やかさ優雅さは失われてしまっていた。この夢のような取り合わせなのに、足せばいいのではないという厳しい現実、裏がえせば、それだけアンサンブル金沢は一日にして成らないことの証明であったか。


井上道義のベートーベン第九はどこか弾んでしまう明るさで。これは井上さんの天性だから納得してオッケーでいいや、日本海側なのにイタリアのように明るいのね。それよりもなんか明らかに空気の読めない石川県知事(ここでマエストロに上から目線で話すか、フツー?)の祝辞とか、それがなかったらいいのに。普段クラシックのコンサートに縁のないおっさんおばはんが大挙して参じていたのであろう、アナウンスも不充分だったせいもあって、演奏中ケータイの着信音、時報アラーム、「You Gatta Mail!」が鳴りまくっている。石川県きっての文化都市金沢でこれかよ!さすがに、第4楽章のクライマックス、第9の843小節が始まった直後で、携帯着信音が鳴ったときには、井上さん、腰に左手を当て、半身で客席を振り向き、「ちくしょう」という口の動きを見せていた。録画も入っていたコンサートなのに、とんだ第九となったものだ。でも、その井上さん61さいの男気がカッコイイと思ったのはぼくだけでしょうか。


やんややんやの終演さわぎを一足先に出たぼくたちでしたが。駐車場に向かうときにクレーメルと連れの美人女性が会場から逃げ去るように道路を横断してきたのだった。クレーメル61さい。カッコイイ。ぼくたちとすれ違った(ほんの1メートル!)一瞬、静寂と追憶シーンが交差する。


あれは85年だったか。ECMファンクラブのシアクくんがアイヒャーに会って出来立ての『アルヴォ・ペルト:タブラ・ラサ』をもらって帰国、西荻窪の彼のアパートで「ニューシリーズだって?どんな音楽なの?」と4〜5にんで正座聴きしたあの衝撃。間違いなく日本に入国した最初の『タブラ・ラサ』ECMドイツ原盤だった。誰が最初にこの音楽を歴史的に素晴らしいとメディアに投ずるか、さすが吉田秀和だった。おれが音楽評論家だったらおれだった。


あのヴァイオリンのクレーメルと交差した。人生なぞ一瞬である。










Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

My追加