Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2007年12月01日(土) 奈良の天河神社



12月に入り。

奈良の天河神社という音楽と芸術の神様がいるところへ導かれる。


養老天命反転地に行ったことを喜久屋食堂で子どもたちが話題に。
友だちに話すと、「どこそこ?」とかえされるという。
ここ読んで>
荒川修作についての理解を深めること>子どもたちへ。
という、おれ。
ここ読んで>
子どもたち。試験には出ないけど。

音楽やアートに接して、変容する自分というより、アートによって構築される身体、感覚、自我、としての自分に気づくということ。
子どもとの思い出とか恋人とかゼニへの執着とか言葉遣いとか、その音楽をこう感じるとかそう判断するとか、わりと固定的な価値体系で出来上がってしまっている自分、を、捨てられるかっていう気持ちもわからぬわけではないけれども、
アートが放つもの、が、おれという存在を再構築する、と同時に、おれはいわば消える。

そういったところから立ち上がってきたコトバ、が、傾聴に値するような気がすんだよね。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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