Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2007年08月20日(月) ジスモンチのライブ@第一生命ホール



ジスモンチのライブ、観てきました。16年ぶりの来日。勝どき駅から徒歩数分、晴海トリトンスクエアにある第一生命ホール。入り口で待ち合わせをしていたら、ECMTシャツの「フリー・アット・ラスト」を着た若者を見かける。この組み合わせに、その若者の音楽愛の深さを感じるオジサン化したわたしである。

ライブの1部はギター、2部はピアノ。ギターが始まる。音が奏でられると同時に、えも言われぬヴィジョンが脳内に映り出す。ジスモンチにしか出せない、瞬間的なパッションが構成するこの速度。この速度である。おそらく、ジスモンチのこの日の演奏を聴いて、速度を感じないでいられることは不可能だと思う。のっけから、レッド・ツェッペリンの「The Song Remains The Same」を聴かされているような疾走感、そして脳内に映る真っ青な空、・・・陳腐な表現ですまない。静かに圧倒された。ギターのボディを叩きながらコードを押さえるとああいう音になるのか、CDでは聴きなれたサウンドの奏法に新発見。最初の3曲はコンサート・ホールのりの拍手であったが、ギターの部の最後の拍手ののりは熱風のようで、おれはこの拍手にも感動してしまった。

ピアノも代表曲を連打する大ヒット大会。しかも。おれは確信したのは、この70年代プログレ感。旋律、構成、変拍子、技巧、が、相互に引き立たせる配合の音楽。もちろんジスモンチが変拍子であるはずはない。音楽の流れを、自在に曲線を回転させたりデフォルメしたり、で、ライブ感を引き出すことが、ジスモンチのジャズ観なのであるから、かつて、ジスモンチがハンコックの前でどうだとばかりに弾いたあとに「それのどこがジャズなのです?」とハンコックに返されたというほほえましいエピソードも、双方あんたが大将だとそばで誰か言ってやればよかったのだ。ジスモンチは70年代プログレをギターとピアノでやっていたのだ。

16年前の来日では、わたしはピアノの演奏しか憶えていない。今日のピアノよりずっと調律がなっていなかったけれど、当時はもっとソリッドで激しかったようなところがあった。ジスモンチは1946年生まれというから、16年前は45歳、今年は61歳。自然なことだし、演奏の優劣はない。ジスモンチは28歳でパスコアールとヴァスコンセルスと共演したところをアイヒャーにスカウトされたのだった。数々の名盤を想う。

わたしはジスモンチのことを話すとピアノの美しさのことばかり話してきた。ジャレットが嫉妬したピアニズムだ、『Solo』を聴け、『Alma』を聴け、美しさと速度に痺れろ、うんぬん。わたしはブラジルEMI盤『Alma』が出たとき、スイングジャーナル誌に「こんな美しいものはないので、カセットに録音してあげますから連絡ください」とECMファンクラブとしてお知らせを出したことがある。著作権もなにもあったもんじゃない。音楽愛だ。日本各地の6・7人から連絡があって、わたしは結婚したばかりのよしみちゃんがLPレコードの中にあった楽譜をコピーしてそれをパッケージにして送っていたかわいい姿に人生の頂点を感じていたのだった。

90年代にはすっかり欧州即興リスナーに身を落とし、95年にはニューヨークジャズ沸騰シーンリスナーとして目がすわったようなわたしなので、ジスモンチの音楽はほんとうに青春を感じさせるばかりだった、と、ジャズを拠り所とした書き手として書くには通りはいい。しかし、この深夜になっても耳に鳴り止まないジスモンチの速度と美しさ。わたしには、この素晴らしさを伝える使命があるのではないだろうか。



『Alma / Egberto Gismonti』ECMから増補再発されたピアノソロ。
ブラジルEMI盤の柔らかい音質のほうが好きだけど、やはりピアノ聴きにはマストアイテムだと思います。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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