Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年02月07日(土) 「ダウンタウン・ミュージック・ギャラリー(downtown music gallery)」・ペーターコヴァルトに捧ぐ・川端民生

アメリカでのジャズ即興系のCD購入にオススメなのが「ダウンタウン・ミュージック・ギャラリー(downtown music gallery)」です。
メーリングリストの登録をしておくと入荷リストがメールで配信されます(無料)。
はっきり言ってからだに毒です。アーティスト名を読むだけで、脳内麻薬物質がドバーッと出て禁断症状に指が震えてしまいます。

■ダウンタウン・ミュージック・ギャラリー
>ロバート・ワイアットのチェックリストにはガルバレクの娘(Anja Garbarek)のCDもー。

4人のコントラバス奏者の巨匠がここに集結した・・・、と紹介されているこんなCDがリリースされている。
『BARRE PHILLIPS/JOELLE LEANDRE/WILLIAM PARKER/TETSU SAITOH - After You Gone (Victo 091) 』■Victo レーベル
Live at the Victoriaville Festival on May 23rd of 2003.

国際コントラバス会議の議長(!)を務める欧州即興のしなやかな知性、バール・フィリップス〜。ヘイ、タクシー!と90年代に颯爽と登場したフランスの女性即興演奏家、ジョエル・レアンドル〜。この人が弾かないジャズはない、参加作はすべて名演名盤、現在進行形ニューヨークジャズの巨人〜、ウイリアム・パーカー。東京タンゴはもはや伝説、汎アジアを体現するベーシスト、門下生としてもっとも高柳昌行の闇と光を継承している、真っ先に聴け吐きそうな低音〜、斎藤徹〜。
・・・ほとんどリングサイドのアナウンサーになってしまうが。

4人のベーシストによる競演、だ。前例なし、たぶん。しかも、この水準のベーシスト、世界を探しても、あと何人いるかどうか、である。
まさに競馬で言うところのGI(グレード・ワン)。
ベーシスト、この水準で、あと?ううむ、ブルーノ・シュビヨン、エルンスト・レイスグル、デイヴ・ホランド、バリー・ガイ、ペーター・コヴァルト・・・。

2002年9月21日ニューヨークで急死したドイツのベーシスト、ペーター・コヴァルト、に、この演奏は捧げられている。

世界でおそらく初めての3人のベーシスト(バール・フィリップス、井野信義、斎藤徹)による即興演奏集『オクトーバー・ベース・トライローグ』()が発表されたのは2001年。この時の、アイディアがもとになっていることは間違いないと思う。


音楽は聴く者をどこかへ連れてゆくものだ。

ともに演奏していたベーシストが突然どこかへ行ってしまう。一緒に、明日のことなぞみじんも不安に思わずに過ごしていた友だちがいなくなること。

去年、ウイリアム・パーカーがペーター・コヴァルトとのデュオ演奏をコヴァルトの息子の絵(たしか)をジャケにしてリリースしていて、秋口にぼくはそれを聴いて、その生き生きと闊達なやりとりが笑ってしまうくらいにはじけていて、ほんとうにそれだけの即興演奏で、ぼくは思わず涙が出てきていた。これをたとえば客観的に即興演奏として評価したところで、それは誰のためのどんな行為なのだろう。


ベーシストが亡くなった、といえば、ベース奏者の川端民生に捧ぐライヴもたしかあった。

川端民生が亡くなったときに、どこかのサイトで、「菊地さんがコメントを発表している」と読んで、ぼくは菊地雅章だと思ってそのテキストを読むと、菊地成孔のものだった。ぼくはその時はじめて菊地成孔の名前を意識した。ティポグラフィカも聴いて騒いでいたのに。

その音源を2枚組くらいでCD化できないものだろうか?

小沢健二(『球体が奏でる音楽』、lovers@日本武道館)も、菊地成孔も、そのCDにコメントを寄せてくれるだろう。


(ぼくが2001年に書いた文章)

わしの今のところ生涯ライヴ三傑は、昭和人見記念講堂でのヴァレリー・アファナシエフの初来日での友人の死に捧げられたモーツァルト、菊地雅章の5人ぐらいの編成のファンクなグループでの新宿ピットイン、小沢健二の初めての日本武道館初日、である(エグベルト・ジスモンチの松本でのピアノ・ソロ、仙波清彦と山木秀夫のダブルタイコでのジョン・ゾーンのプレイズ・オーネット、神奈川県民ホールの福田進一と客演したアコーディオンの京谷弘司、大泉学園インFでの千野秀一+竹田賢一……なども入れたいが)。奇を衒って書くのではない。7月24日の藤井郷子で四傑となった。「ジム・ブラック入りのCDは名盤のしるしだよねー」と言い合ったディスクユニオン吉祥寺店の友だち(彼女は耳がいいので、ファンが多い)も「ジャズ聴いてきてほんと良かったと思えるライヴでしたねー」と声を弾ませていた。
そしてこの生涯ライヴ三傑の菊地雅章のグループで文字どおり“オトコ惚れ”していた川端民生が、7月26日に逝去した。CDでは『ホッパーズダック』、ライヴでは昨年末新宿ピットインでの浅川マキのベースとして聴いたきりだった。浅川マキと一緒に煙草の煙を薫らせながら音を弾く深みは、病後の健在を示すよりも普遍につながる何かを空間に放っていた。今年の3月ジロキチでのネイティブ・サン約20年振り復活ライヴ、には意味があったのだろう。川端は、おそらく菊地雅章の叩きつけるピアノに勝てた唯一のベーシストだったろう。一撃で音楽を沸騰させることができるその意志のちからのようなもの、「川端民生の存在がジャズなんやで!」と言い放てたぼくの握リこぶし。「いや、もう、おざけんは天才。おざけんがいればECMの全部のレコードいらない!」と横井一江さんに言い放って唖然とされた直後に、ぼくは小沢健二と川端民生と渋谷毅のトリオでのレコーディング実現を知る。たしか小沢は川端を、大地に根をはって槍を持って立つ原住民の存在感、というような言い方をしていたけど、ほんとうだよな。しばらく川端民生の追っかけみたくなってしまったわし(30代半ばの当時は3人の子持ちがだぜよ)は、ライヴがひけて出口のところでモデルみたいにきれいなおねえちゃんと親しそうに話している川端の姿に、嫉妬感つうか、追っかけしているおのれの小ささに打ちのめされて遠くから眺めることにしたのだったな。何かのジャズ・フェスで小沢・川端・渋谷のトリオが出たとき(小沢の『球体の奏でる音楽』から唄ったのかな)、観客のブーイングにも似た冷たい反応があったとニフティのジャズ会議室できいたことがある。だからさ、自己紹介なんかで「私はジャズが好きです」なんて言えるような脂ぎったやつは大嫌い。それは川端民生を聴いていないよ、いや、音を聴いていないよ、ほんとうに音楽を聴いたらきっとぼくらは透き通った存在になってゆく。川端民生はもういない。残されたぼくたちは川端民生を心に宿そう。

■musicircus


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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