Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年02月01日(日) マラカイフェイバース逝去・ぽるなれふばーきん・ジャズ評論家成田正

午前5時、湾岸道路のミシェル・ポルナレフ「シェリーに口づけ」、まじで28年ぶりに聴いた。
中学2年生のぼくの部屋の机の木目や、ガラス窓から見下ろせる雪印乳業苗穂工場の深夜の光景、そん時持っていたエロ本のババアづら。
ベスト盤が出ているそうな。ちょっと待てよ!、「忘れじのグローリア」を入れてないベストは認めんぞ。どうゆう編集しとんじゃ。

ジェーン・バーキンがトルコのミュージシャンをバックに歌っている。一日だけの来日公演があるそうな。
ラジオのナレーションが「世界を旅するようなアレンジですね」、って、あのよー、ジェーン・バーキンがババアになって、トルコのミュージシャンとの、このテンポとアレンジと雰囲気とで、歌っている感慨、を、言わんのかい。

どっちもフランスか?


ブラッド・メルドーについて、おそらく日本でいちばん最初にこういう表現をしたのがジャズ評論家の成田正さんだったと思う。
「ピアノを弾く時の右手と左手のつながりをバラし、ジャズを読む上での右脳と左脳の葛藤を無用のものに換えてしまったピアニストだ。」
■「ブラッド・メルドー── 胸騒ぎの高貴と侠気」

その成田正さんが、こういうデータベースを作成している。

“日本を訪れたジャズ、ジャズ系、ジャズがらみの音楽家の足どりを読むウェブ・データ・ベース”
『CUSTOMS RECORD of JAPAN』

■CUSTOMS RECORD of JAPAN

こういう地道な作業だけが続くものを作る成田さんはえらいと思う。
関係者は情報提供をすべきだし、ジャズ好きな方はお気に入りに入れて、何かの役に立ったら成田さんにお参りを・・・(あれ?)


音楽の多様性といったことを考えるとき、遺伝子がその種の存続のために、大半は親のほぼコピーであるのに対し、一部は、親の特質をらに特化させていたり(これも偶然に、ね)、かなり無理のある亜種(もしくは失敗作といったもの)を生み出していたり、その涙ぐましく健気なエネルギーを費やしていることとは同型だよね、ミュージシャンの熱気にどこか似ているわよね、と、未婚の女性が言うか。

種全体の中の必然として個々はあったりする、のか?おれはちがうと、思うぞ。


マラカイ・フェイバースが逝去。
■PI-Recordingsのフラッシュ画面。

August 22nd 1927 – January 30nd 2004

1999年11月にレスター・ボウイを失ったアート・アンサンブル・オブ・シカゴは、
ロスコー・ミッチェル、マラカイ・フェイバース、ドン・モイエの3人で『Tribute to Lester / Art Ensemble of Chicago』(ECM1808)
を録音し、昨年発表していました。
1993年から半ば引退状態であったジョセフ・ジャーマンが復帰してカルテットでのアート・アンサンブル・オブ・シカゴで
『The Meeting / Art Ensemble of Chicago』が発表されたばかりでした。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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