それでいいじゃない - 2010年07月19日(月) レディースデーのクレアワイカルシネマズにて、借りぐらしのアリエッティと踊る大捜査線を観る。 アリエッティは意外におもしろかった。 猫の恩返しやゲド戦記と比べると、今回のはよかったと思う。 アリエッティの一家のつましい生活ぶり、角砂糖ひとかけらとティッシュ一枚を獲得するための手間と苦労をこれでもかと言わんばかりに事細かに描写してみせることで、時間をかけてゆっくりと観る側の主観を壊してゆく。アリエッティは芯が強くて聡明な女の子だけれど非力だ。これでもかと言わんばかりに非力だ。翔君もそういうふうに描かれている。与えられた環境の中でしか生きることができない。自分の力で人生を切り開いていくには、あまりに無力で幼い。序盤で出てくるリアルで豪奢なドールハウス、ここにアリエッティ一家が迎えられてハッピーエンドとなるはずなのであろう、普通のお話ならば。結局それは叶わないまま、アリエッティたちは藪家を立ち去ることになる。人間と小人たちとの間にあるひとつの軋轢を協力して乗り越えることができた翔君とアリエッティは、しかしそれでも、それぞれの生きる世界そのものを踏み越えることはできず、互いの心に芽生えた絆を確かめ合って、そして別れる。あえてハッピーエンドにしないところが憎い。もののけ姫もナウシカも「共存への希望と可能性」をほのめかして終わっているけれども、アリエッティは「共存のために踏み越えてはならないライン」をくっきりと提示して幕を閉じている。生きる世界が違うものたちが心を通わせることはできても、同じ世界で生活をともにすることはできないのだ、と、超えられない断絶を伝えている。いいメッセージだと思う。逆説的な気もするけれども、そういった一種の諦観というか悟りというか、そういうのは生きる力の源のひとつとなりうるように思う。 かなり露骨に駿作品へのリスペクトを混ぜ込んであるのもよかった。 巨大虫、王蟲、ねこバス、たぬき、魚。 ラピュタはあれか、卵をのせたパン?違うよね…。 ラピュタだけがわかんなかったですけど。 あとこれは、翔君のイケメンぶりを堪能すべき映画だと思った。 翔君の表情のアップがあまりに多く、ある種のあざとささえ感じた。 まあでもこの人なら、駿亡き後ジブリの看板をしょってたつ人になれるのではないか、というように思った。 踊る大捜査線。 おもしろかったけど、意外におもしろくなかった。 いや、おもしろかったけどさ。 だいぶ粗が目立ってきたというか…。 ドラマとか今までの映画だと、保身に回る上司とか経費の無駄遣いとか、官僚化した組織ならではの矛盾や非効率が「さもありなん」なギリギリのリアリティで描かれていた気がするのだけど、今回はそのへんの描写がだいぶ雑だったんではないかと思った。「あー、あるある」とニヤリとさせられるより「いくらなんでもそりゃないだろう」と突っ込みが先に立ってしまうような場面が目立った。 すみれさんとの夫婦漫才はよかったです。 -
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