アンダードッグ - 2009年12月07日(月) 「恋愛と結婚は別よね」と世間ではまことしやかに囁かれておりますが、実はそうでもない、ということを最近発見した。 すなわち結婚とは、十二分に濃密で縁の深い恋愛関係からの連続でなされるべきことなのだ、ということだ。 今週末は陽一君が来てくれた。 いろいろと煮詰まっているわたしを元気付けてあげたい、と言って、急遽飛行機を取り、予定を空けて来てくれたのだった。 ありがたいなあ、と本当に思った。 幸せの形とは人の数だけあって、例えばこれを読んでいるあなたの幸せとわたしの幸せの形はおそらくだいぶ違う。 30歳になってから改めて「結婚」を自分の人生の中でどう捉えるべきか考える機会が増えた。 あなたの幸せとわたしの幸せは、きっと違う。 結婚したあなたが幸せだからと言って、わたしも同じことをして幸せになれるかどうかはわからない。 逆に結婚してあなたが不幸になったからと言って、わたしが同じことをしたときに不幸になるかどうかもわからない。 独身を貫いたあなたは今後悔していないが、それはきっとあなたが強くてかつ幸運だったからだろう。 だからわたしには安全策として「できれば結婚したほうがいいよ」と話してくれるのだろう。 というようなことを、周囲のたくさんの人たちとのかかわりの中で考えてきた。 でも先週末、無心にふたりでいる時間を楽しみ、あっという間の2日間が終わって今いちばん強く思っているのは「この人と、ずっと、ずっと、いつまでもいっしょにいたい」ということで、人間は欲深い生き物でさらにわたしはその中でも特に欲深いほうなので、他にもいろいろあることはある。 たとえば今の仕事を辞めたくはない。 両親や弟たちに認められ、祝福されていっしょになりたい。 この土地でいっしょに暮らしていきたい。 毎回毎回ホテルを予約するんじゃなくて、ふたりで生活していきたい。 全部をいっぺんに叶えることができないのは知っている。 でも何も特別なことはしなくていい。 そばにいてくれたら、たぶん当分は満足。 人間のなかでもことさらに欲深いわたしは、気をつけているつもりでも次第に要求が増えてきてしまうかもしれないけれど、そんなわたしを諭してほしい。 そして初心に帰って、またふたりで仲良く生活していきたい。 ここのところずっと鬱屈している何よりの原因は、もしかしたらこれだったんじゃないか、と思った。 陽一君がそばにいないのはいやだ。 遠距離はいやだ。 本当はいやだったんだ。 いやだけど、言ったってしょうがないから、納得したふりをしていたのだ。たぶん。 自分でも気がつかなかったけれど。 無理やり「ない」ことにしていたのだ。 つくづくこの性格に腹が立つ。 なぜもっと自分の感情を柔軟に受け止められないのだろう。 こういう傾向が周囲の人と自分との間に軋轢を生む原因にもなっているのも知っている。 でも本当にわたしにとっては「ない」のだから、認識しようがないのだ。 我慢していることにすら気がつけないのだ。 そういうことを思いながら、ぼんやりとした夢を抱いている。 陽一君といっしょに生活をすることは、確かに不可能ではないのだけれど、それを実現するにはお互いに失うものが大きすぎて、だから現状維持がいいんだろうね、って話だったはずなのだ。 それで納得してたはずなんだけどな。 今こうして泣きながらキーボードを打っている横に陽一君がいてくれたら、たぶんそれだけで、わたしは欲深な人間だから、そう思えるのはほんのちょっとの間だけなんだろうけれど「他には何もいらない」と思えるんだろう、と思う。 -
|
|