思い出す反省 - 2008年02月20日(水) 前勤めていた職場のOさんの夢を見た。 わたしがかつて、危うく脳内変換しかけた相手だ。 その職場の男女比は95:5ぐらいで、なおかついかにも理系エンジニアな女っ気のない男性ばっかりだった。だからある日突然、派遣社員としてわたしたちがやってきたときには、なんというか、職場内にはある種の戦慄が走ったらしい。あとで聞いた話だけど。 そこでわたしたちは、実に多くの人から脳内変換された。 昼食時の話題はもっぱらそれで、最初に別の同僚の女性がそうなった話を聞いて「へー。大変だなあ。」とか思っていたらいつの間にか自分になっていた。 今でも彼らの、あの満面の笑み、わたしを見ているのに見ていない、付箋のいたずら書き、下着の話、スカートの中を覗かれる、 そんな中でOさんも、実はわたしを脳内変換していたようだった。 でもわたしは、Oさんは他の人と違うと思っていた。 Oさんとは普通に会話ができたのだ。 年も近かったし、笑いの感性も似ていたし、婚約者がいるという話は聞いていたけれど、別にそういうことはどうでもよくて、ただわたしはOさんとの会話を楽しみにしながら職場に通っていた。 ああ、もう出かけないと。 --------------------------------------------------------------- つづき そのへんから、わたしのほうもOさんを脳内変換し始めていたのだろう。 Oさんはわたしにとって、職場内のオアシスになった。 この人とだけは、わたしは普通にしゃべれる。 他愛もない冗談を言い合って、笑い合ったりすることができる。 それが本当に有難かった。 なにしろ、他にそれができる相手がいなかったのだ。 同僚の派遣社員の女性たちとは毎日昼食をいっしょに食べていたけれど、年代も一回り違うし、それまで生きてきた道のりもあまりに遠すぎて、結局辞めるときまで当たり障りのない世間話しかできなかった。 派遣開始から半年ほど経ち、Oさんと同じグループになって一日中行動をともにするようになってから、いろんなことがおかしくなり始めた。 ほどなくして、わたしはそのグループを抜けさせてもらった。 部署内におけるわたしの存在価値は、その一件で暴落した。 Oさんもまったく悪くないわけじゃないんだけど、今思うに、あれはやっぱりわたしの行動のほうが的確ではなかった。 もっと他に、穏便な解決策はあったはずだ。 今でも思い出すと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 Oさんを勝手に「わたしを理解してくれている人」だと思い込んでいた自分の浅はかさを恥ずかしく思う。 内部にいると不満は尽きないものの、客観的に見るととてもいい企業だ。 そのままそこで働き続けることができていればいいと思う。 そしてそれなりのポストをもらい、両親に交際を反対されていたという彼女とも無事結婚して、子どもなんかも産まれて、幸せに暮らしてくれているといいと思う。 Oさんはもうわたしのことなんて忘れているだろうけれど。 陽一掲示板の書き込みを見るにつけ、耳が痛い。 声を聞くと思い出しそうだから、と言っているのを聞いて、ああ、あれかな、と思い当たる節があった。 うつが本格化してきたころ、どうすればいいのかわからなくて泣きながら両親と対面したとき、わたしは父から 「そんなに死にたいなら死んでしまえ!」 と怒鳴られた。 これが父の愛情表現であることは、わたしは理解できていた。 額面どおり受け取るものではない、ということも。 翌朝目が覚めた瞬間、あの感情が沸き起こった。 あの感情、とは、うまく言い表せないのだけど、「がんばるしかない」という、よく言えばアグレッシブな気持ち。 そうか、よし、がんばろう、と、本当にそのときは思ったのだ。 それからのことは覚えていない。 食事はしたのか、着替えたのか、欠勤の連絡を会社にちゃんとしたのかどうか。 次の記憶はもう夜で、一日何をして過ごしていたのか、そこの記憶がすっぽりと抜けてしまっている。 ただ頭の中で、父の怒鳴り声だけがぐるぐる回っていた。 もしかしたら、そんな感じ。 誰かを傷つけることは簡単なのに、それを癒すためにできることは、本当に限られているね。 わたしの中の黒い人は、今やこんなに、まるでたんこぶみたいに小さくなったというのに、それすら乗り越えられないわたしが、悔しくて、どうしようもない。 -
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